音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

SOSを出すこと

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読売新聞の人生案内にこんな相談が寄せられていたそうです。

「20代主婦。息子を昨年出産しました。
叱られるのを覚悟で言いますが、その息子に憎しみを抱いています」

 

こちらのブログに詳しいのでリンク貼りますね。

http://blog.livedoor.jp/misarock/archives/7213904.html

 

 

私はこの記事を読んだときにまず

「なぜ彼女は新聞に投書したのだろう?」と思いました。

一刻も早く誰かに相談するべきなのに、

投書では確実性と速効性がないと思ったからです。

育児の電話相談窓口なんていくらでもあるのに、なぜ電話ではなく投書?

 

もしかしたら、電話では言いにくいのかもな…と思いました。

「子供が憎い」と思うことは恥ずかしくて悪いことだ、

母親として人として失格だ、

そういう思いはやっぱり誰にでもあるのだろうし、

とくに彼女は家族にも相談できずに良い母を演じていたわけだから、

人を前にするといい子ぶってしまうたちなのかもしれない。

だから文章でのほうが自分の気持ちを素直に言いやすかったのかもしれません。

 

私は、

彼女が虐待をしてしまう前にこうして相談できたことをよかったと思います。

彼女は母としての最低限の務め「子供を危険な場所から逃す」ということを

やれたんじゃないかなあと思うから。

 

よく虐待の問題で、

「核家族化」だとか「地域コミュニティの崩壊」だとか環境が原因に挙げられますが、

私は虐待というのはやっぱり、母親の問題だと思っています。

 

母親が自分を客観的に見つめて

「自分は今やばい」「子供に暴力を振るいそうだ」

と気づかなくてはいけない。

そしてSOSを出さなくちゃいけない。助けを呼ばなくてはいけない。

自分のためでなく、子供のために。

風邪ひいたときに子供にうつさないように

離れて休んで早く元気になるっていうのと同じだと思います。

 

「子供はかわいい」「母の愛は大きい」

これらは本当かもしれないけれど絶対ではない。

今私はれんたろうがかわいくてしかたないけれど、

自分だっていつ暴力を振るいたくなるかわからない。

誰にでもその可能性はある。

でも問題はそのこと自体ではなく、

自分が今やばい状況だと気づかないこと、認めないことだと思います。

 

もし自分がやばくなったら、

認めたくなんかないけど、

「今、自分は子供にとって脅威なんだ」って

冷静に判断しないといけない。

そして不足分を誰かに補ってもらわないといけない。

それが母親の責任だと思う。

 

でもいっぱいいっぱいで気づかないときもあるだろうから、

お父ちゃんもちゃんと嫁のこと見てあげてね。

 

そんなことを考えていました。

東京都のS子さん、元気になるといいなあ。

大日向教授の回答が優しくて、何だか涙が出そうになりました。

 

 

 

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