音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

子供は時々神々しい

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れんたろうがある日突然「むかしのおかあさん」の話をしだした。
彼には私の前にもうひとりお母さんがいたのだと言う。
そのころれんたろうは近所にある神社のすぐそばにある家で、
「むかしのおとうさんとおかあさん」と3人で暮らしていた。

はじめは前世の記憶でも語り出したのかと思った。
だけどどうやら彼の想像上での話らしい。
おもしろいので詳しく聞いてみた。

「むかしのおかあさんはしごとをしてへん。
ずっとぼくといっしょにいて、ぼくとあそんでくれる」
だかられんたろうは保育園に行かず、
「むかしのおかあさん」ときょうりゅうごっこやウルトラマンごっこをして
日がな1日遊んでいた。

「むかしのおかあさん」はめちゃくちゃ優しく、

れんたろうのことを全然怒らなくて、

彼の好きなおかずをいっぱい作ってくれるのだそうだ。
「ハンバーグとか、ぎょうざとか、シチューとか、いっぱいいっぱい、
あとケーキとかクッキーとかもいっぱいつくるから、
もうおなかいっぱいやねん」

それでは「むかしのおとうさん」はどんな人なのかと聞くと

「むかしのおとうさんはしごとばっかりしてかえってくるのがすごくおそい」
のだそうだ。

 

「さみしくなかった?」と聞くと

「むかしのおかあさんがずっといっしょだからさみしくない」と言う。

 

「れんたろうはママがお仕事行くと寂しい?」

と聞くと、「うん」と頷く。そして

「ママ、ぼくがやめてっていったら、おしごとやめる?」

と聞いてきた。

そういうことを聞かれたのは初めてだったので、なんだか緊張した。

でも結局

「やめない。お仕事好きだし、続けたいから」

と答えた。

れんたろうは「うん、それじゃしかたない。いいよー」と言った。

「むかしのおかあさんの方がいい?」と聞くと

「むかしのおかあさんはもういないから。ぼくいまのママだいすきだし」

と言う。

私が笑うと、れんたろうも笑った。

 

 

20代のころ(と言っても昨年のことだが)、

私は今よりもずっと肩に力が入っていた。

 

ちょうど8年前の今頃、

新人研修でプッシュ思考とプル思考というのを習った。

プッシュ思考というのは、過去がこうだったから未来はこう、

という考え方。つまり「過去の自分から未来の自分を設定する」。

プル思考というのは逆に、「未来の自分から現在の自分を見る」考え方。

なりたい自分になるために、今の自分に足りないものは何かを分析し、

成長計画を立てる思考だというようなことを言っていた。

無論、プッシュ思考よりもプル思考の方が建設的だし、成長も飛躍する。

新人研修の先生は、「みなさんもプル思考を持ちましょう」と言った。

 

人生は出自や環境で決まらない、意思で決まるのだという考え方には

共感したし、その考え方に助けられたことも何度もある。

でも20代のころは、いつも自分に足りないものを探している感じだった。

常に誰だかわからない「誰か」と自分を比べて、

「自分は全然だめだな」と思う時も多かった。

 

26歳でれんたろうを産んでからはそれがますますのしかかった。

「いいお母さんで、かつ仕事ができる私」

という未来の自分が、現在のボロボロの自分を見下ろしている感覚だった。

保育園に慣れないれんたろうが夜泣きをすると責められているように感じた。

仕事先で会う人会う人に迷惑をかけているように感じた。

それである日会社に行けなくなってしまった。

退職をしたとき、自分は取り返しようもないほどの挫折をした、と思った。

 

 

 

この間益田ミリの本(確か「ほしいものはなんですか?」だったと思う)を
読んでいたら、専業主婦で母親の女性が、子育てがひと段落してきたある日、

「自分は何にもなれなかった」と思うシーンがあった。

 

それを読みながら、

「では彼女は働きながら子育てしていたら何かになれたのだろうか?」

と思った。

 

仕事も育児も中途半端。

きりっとしたキャリアウーマンにもなれず、

優しい母親にもなれない、という可能性はないのか?

職場の人にも家族にも迷惑をかけ、何も達成できないという可能性は?

「こんなのはないものねだりだ」と思った。

そして自分も、ずっと「ないものねだり」をして

それに勝手に押しつぶされていたのだと気付いた。

 

本の中で、母親は娘に「あなたは何になりたいの?」と聞く。

そしたら娘は「私は私にしかなりたくない」というようなことを答えた。

 

 

子供のなかに自己肯定感を育みましょう、とどこの育児書にも書いてある。

でも最近私は、「自己肯定感を育んでもらっているのは私のほうだ」と思う。

 

れんたろうは私に、条件付きの愛情なんて持っていない。

無条件に私を愛し、必要としてくれる。

帰りが遅くなろうが、ごはんがワンパターンだろうが、

仕事で頭がいっぱいだろうが、いらいらしがちだろうが、口うるさかろうが、

れんたろうはそのまんまの私を受け入れ、

「ママだいすき」「ママといっしょにいたい」と言う。

寂しいのに仕事を辞めてくれないママも、

れんたろうは「ママがすきだからしかたない」と言う。

 

毎日機嫌よく笑いかけてきて、遊ぼう、一緒にいようと誘ってくる。

あれしろこれしろと言ってばかりの私とは大違いで、

れんたろうは時々神々しい。

こんなことを言うと親バカのように思われると思うけど、

この子を生み育てたのが自分だということが、時々信じられない。

それほど子供は神々しい。

 

 

そのままの私を愛してくれる人がいるので、

その愛にはやはり応えたいと思う。

いい人間になりたいと思う。

私はれんたろうに育てられている。

 

 

未来の自分から今の自分を差し引いて、

足りないものを必死に埋める毎日から、

今の自分を毎日積み重ねて未来を作る毎日に変わった。

今日の笑顔の累積が幸福な毎日をつくる。

それは社会を知る前の、幼いころの自分の生活みたいだと思う。

私は母親になってから、再び子供のような生活を送っている。

 

 

きっと「むかしのおかあさん」はれんたろうの理想の母親像なのだろう。

それでも「いまのママ」を大好きだとたやすく言うれんたろうを、

やっぱり私は神々しいと思うし、その気持ちに応えたいと思う。

 

 

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