音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

みんなの、子育てで大事にしていること

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だいぶ前の話になるけれど、3月に朔太郎のクラス会があった。

最後のクラス会なのでお茶会をしようという話になり、お菓子などを用意して、みんなでテーブルを囲む。

 

わたしは幹事だったので、みんなで何を話す時間にするか考えた。

せっかくなら、子供のことより親である自分たちについて話す時間にしたくて、それでテーマを「子育てで大事にしていること」とした。

 

子育てで大事にしていること、というのは、その人の考え方が如実に出ておもしろい。

その人の思想、哲学、処世術などが前面に出るので、クラスの親御さんにそれを聞くのは楽しそうだな、と思った。

 

 

お母さんたちは、「えー、難しい」と言って困ったように笑う。

まずは言い出しっぺの自分から話そうと思い、わたしは自分の「子育てで大事にしていること」を話した。

 

「すごく簡単なんですけど、子供に挨拶をすることと、無視しないことです。これさえできていれば、なんとなく大丈夫なんじゃないかなって思います」

 

そう話しながら、ああやっぱり、「子育てで大事にしていること」は、自分の思想、哲学、処世術が出る、と思った。

わたしは仕事でよくインタビューをする。
挨拶をすることと無視しないこと、つまり、相手に声をかけ、相手の話に耳を傾けることは、インタビューの基本中の基本だ。

このふたつができていれば、きっとどこでも生きていける。たとえひとより秀でたものがなくても、得意なものがなくても。なぜならそれは、ひとを大事にするということだからだ。
わたしはインタビューを通じて、そう信じるようになった。
話しながら「こんなこと考えていたんだな」と自分にびっくりする。
 

難しいと笑っていたお母さんたちだけど、自分の番になるとみなさんしっかり話した。

 

あるお母さんは、

「子供をひとりの人格者として扱う」

と言った。

「ある本で読んだんですけど、子供って、低月齢でも、話せないだけで理解をすることはできているっていうんです。それを読んだときに、ああ自分は子供を甘く見ていたなと思いました。それからは、子供をひとりの大人と同じように見て、接するようにしています」

 

またあるお母さんは、

「体力をつける」

と言った。

これは、旦那さんのポリシーらしい。

「夫は大学で研究をしているんですが、彼は、世の中にはどうあがいたって勝てない天才が存在するって言うんですね。自分は凡人だから、彼らみたいにはなれない。だけど、時間をかけ努力し続けることで、近づくことはできる。そのために必要なのは、1にも2にも体力だって言って、よく子供と山登りしています」

 

本当におもしろいなあ、と思いながら聞く。

やはりそれぞれに、大事にしていることがあるのだ。

 

子供を育てることは、自分が生きていくことを、ほんの少し俯瞰することのように思う。

こうして改めて言語化することで、本人も、周りの人も、その人のことがよりわかるように思った。

それはなんだか、いいものだった。いつもよりも深いところから、彼女たちの言葉が出てくるような。

 

 

興味深かったのは、こんなやりとりがあったことだ。

 

「男は男らしく、女は女らしくを大事にしていますね。お姉ちゃんには箸の持ち方まで厳しく言いますが、弟にはテーブルの上に乗って騒ごうが、あまりうるさく言いません。男の子なんで、男らしく元気に育ってほしいと思ってます」

 

ほうほうと聞いていたら、次のひとがこんなことを言った。

 

「わたしは逆で、男だろうが女だろうが、好きなように生きていったらいいと言っているんです。男の子でもピンクとかプリキュアを好きになってもいいし、男の子を好きになったっていい。そういうことも自然なんだよって教えてます」

 

うーむ、とわたしは内心うなる。うーむ。おもしろい。
ふたりの意見は正反対であるが、共通しているところも垣間見える。つまり「らしく」生きていくのが善いのだという考え方。その「らしさ」の拠り所が、「性」にあるのか「個」にあるのかの違い。なぜその考え方に至ったのかの答えは、きっと彼女たちの生きてきた筋道の上にあるのだろう。

 

 

「先生はどうですか?」

参加者で唯一の男性だった、クラスの担任の保育士さんがいきなり当てられ、

「僕も答えるんですか!」

と笑う。

彼は、家では一切「保育」をしないと言った。保育は仕事だから、家では普通に過ごしてますと。

「ただ、毎日のなかに、喜びや楽しみを見出せるようになってほしいなあって思っていて。それで毎晩、子供たちと『今日嬉しかったこと古今東西』をやっているんです」

 「サッカーで勝った」「給食がカレーだった」「猫に触れた」……思いつかなくなると最後には「空が青かった」「雲がきれいだった」になるという。

それを聞いて、数人のお母さんたちが

「素敵」

とつぶやいた。

 

 

ゆうべ、『困ったときの子育て相談室』(河合隼雄・古平金次郎・滝口俊子・e-mama編集部)という本を読んだ。

その中に「「理想の母」とは何だろう」という河合隼雄さんの文章があった。

 

「理想というものは、方向を知らせてくれる「星」のようなもので、そこに「行き着く」ことなどはできないのです」

 

とてもいい言葉だな、と思った。

行き着くことはできなくても、星を心の中に持つこと。

行き着けないことを嘆かず、ヤケにならず、見失わず、毎日ふとその星を見あげて、少しでも歩もうとすること。

 

きのうよりも少し、善くありたい。
きっとみんな、そう願いながら生きている。
正しいとか正しくないとか、良いとか悪いとか、毎回毎回、判断しながら。
ときにそれが、まわりにとっては正しくないのだということを知りながら。

 

お茶をしながら話すお母さんたちを見ながら、みんな素敵なひとたちだ、と思う。

目の中に星があるひとは、美しい顔をしている。

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