音読

たぶん日刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

今年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

「わらって?」

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最近、朔太郎と目が合うと、よく「わらって?」と言われる。そのときの朔太郎は、自分自身とてもいい笑顔をしている。
「わらって?」と言われて笑ってみせると、「うふふ」と言って顔をつかもうとする。だいたい彼の手にはいろいろなものがついているので(ケチャップとかパンくずとかよだれとか)とっさによけると、ますます笑って手を伸ばしてくる。本当に子供はよく笑う。

 

ときどき、「わらって?」と言われても笑えないときがある。たとえば仕事を抱えていて考え事をしているときとか、不安なことがあるときなんか。笑おうとすると筋肉が引きつれて、目が笑っていないのが自分でもわかる。笑うって難しいんだなと思う。そういうとき、朔太郎は「わらって」「わらって」と手を緩めない。わたしがちゃんと笑えるまで、しつこく何度でも言い続ける。根負けして呆れるように笑うと、朔太郎はようやく許してくれる。

 

どうして、子供ってこんなによく笑えるんだろう。遊んでいるとき以外にも本当によく笑う。人と目が合ったり、街で動物を見かけたり、着替えのときに服のえりぐりからぽんっと顔を出したり、絵本をめくってもらったり。そういうすごく些細なことで、簡単に笑う。

 

ずっと前に何かで読んだことがあるけれど、大人は1日に平均15回ほど笑うのに対し、子供は300回ほど笑うらしい。そのとき思ったのは、「大人ってあまり笑わないんだな」ということよりも「子供っていっぱい笑うんだな」ということだった。起きている時間が15時間だとしたら、1時間に20回も笑っていることになる。でも、確かにありえるかもしれない。彼らはそれくらい、簡単に笑うような気がする。

 

どうして子供は多く笑って、大人はあまり笑わないのか。それは多分、世界に慣れているか/いないかじゃないかなと思う。子供はまだ生まれてから数年しか経っていなくて、目に映るものどれにも馴染みがない。犬を見れば笑い、クレヨンで線を引けば笑い、石を拾えば笑う。わたしにとってはもう、犬も色も石もどれもさほど珍しくなく、心が動かない。心が動かないから、笑わないのだ。それは決して悪いことではない。少しずつ心が強くなり、ちょっとのことで動じない、落ち着きを持つようになるということだから。

 

朝起きると朔太郎は必ずわたしのもとへやってきて、台所に立っているわたしの膝をぎゅうと抱きしめ、「おはよお」と言う。「おはよう」と言って抱きしめ返すと、きゃらきゃらと声をあげて笑う。まるで朝に、眠りから覚めることに、挨拶をして抱きしめ合うことに慣れていないかのように。その表情を見るたびにわたしはなんだか切なくなる。この子も少しずつこの世界に慣れていき、笑顔も減っていくのかな。それは成長していく、ということでもある。

 

朔太郎と一緒に笑うたび、なんだか共鳴しているような気持ちになる。「わらって?」と言われて、わたしが笑って、朔太郎が笑って。お互いがお互いに心を動かされて、それが笑い声になる。きゃらきゃらと、うふふふと、それは心が動く音だ。少しでも、それが長く続けばいいなと思う。「わらって?」と思っているのは、多分わたしのほうなのだ。

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