音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

はいどうぞ

蜀咏悄 2

きのう保育園にれんたろうを迎えに行ったら、

先生がやってきて、日中の様子を教えてくれた。

保育園の先生たちは、忙しいにも関わらず、こまめに連絡してくれる。

連絡ノートには、ごはんやおやつをどれくらい食べ何を残し、どれくらい昼寝して、いつどんなうんちをしたか、どんな遊びをして、どんな様子だったかを毎日書いてくれる。

部屋には今日の遊びの内容も具体的に書かれた紙も貼ってあって、

それらを読むのが毎日の楽しみ。

 

口頭で様子を教えてくれるときは、

れんたろうがけがをしたときか、何か特別な成長が見られたときだ。

きのうは、

「今日、ゆずちゃんともゆちゃんがおもちゃを取りあいこしてたんです。

れんたろうくん、少し離れたところからそれをじーっと見てたんですけど、

いきなり二人に近づいてきて、ゆずちゃんに「はいどうぞ」って、

自分の持ってたおもちゃをあげたんですよ」

ということだった。

「ゆずちゃんが欲しがってたのは違うおもちゃだったんですけど、

れんたろうくんに別のおもちゃをもらったので嬉しそうにして、

けんかが収まったんです。すごい成長ですね」

 

私は驚いて

「はいどうぞって言ったんですか?」

と聞いた。そんなのは聞いたことがない。

「はっきり言ってましたよ、はいどうぞって」

いつ覚えたんだろう。何だか感動してしまった。

 

れんたろうは私たちが話しているあいだ、

私の首に抱きついてきたり膝によじのぼろうとしたりと大忙し。

「はいどうぞってしたの?」と聞いたら、

にやにや笑ってほっぺたをぱしぱし叩かれた。

 

まず、はいどうぞという言葉を覚えたのにびっくりしたのだけど、

よくよく考えるとこの事件は奥が深い。

二人がけんかをしている→理由はおもちゃの取り合いらしい→僕はおもちゃを持っている→一個あげればけんかが収まるだろう→「はいどうぞ」という一連の流れは、状況認識能力と予測能力と自己犠牲精神と言語能力とコミュニケーション能力が発達していることを指している。(大げさ?いえ、親とはこういうものですよね、きっと)

 

雨が降っていたので抱っこひもで抱っこして帰る。

荷物もれんたろうも重たかったが、

何だか嬉しくてからだが軽く、

何度もれんたろうの頭をなでた。

 

私はつい最近まで、保育園でどんどんれんたろうが成長していくことに罪悪感を覚えていた。

仕事を辞め、家で療養させてもらっている自分。

れんたろうを人に育ててもらっている自分。

れんたろうが成長していくたび、

「嬉しいけど、これは私が教えたことじゃない、保育士さんがしつけてくれたことだ」と

考えてしまって、えらいねと言いつつ素直に喜べなかった。

私はいったい、何をこの子にしてやれているんだろう。

日中側にもいるわけでもないし、お金も稼ぐわけでもない。

情けなくて、早く社会復帰しないととすごく焦った。

 

雨が続いたので、最近自転車ではなく徒歩での送迎が続いた。

歩くといろいろ考える。

傘をさして胸にれんたろうを抱いて歩きながら、

でも、じゃあすべて自分でしつければ満足なんだろうか?と、突然疑問がわいた。

 

何だかそれは危ない考えのように思う。

子供の成長よりも、自分の成果をあげたがってるみたいではないだろうか。

まるで自分がサボっているようだから、

子供を自分の手で育てたいと思っているみたいではないだろうか。

れんたろうはそんな卑小なもののために生きてるわけではないのに。

育児ノイローゼに陥るお母さんに、あるカウンセラーの方が

「子供はみんなで育てていくんです」

と言っていたのを思い出した。

 

自分ひとりで育てないといけないなんて、思わなくていい。

私の存在意義も、れんたろうの存在意義も、母子のあいだのみにある、なんてわけがない。

私の役目は、自分の存在意義もれんたろうの存在意義も、たくさん増やしてあげることではないのだろうかと思った。

いろんな人と出会い、いろんな場所に行き、いろんなところで笑えるようにしてやることではないだろうか。

私だけでは見せてやれなかった風景を、いろんな人に見せてもらってほしい。

そのためには快く送り出して、笑って待っていてやらねば。

 

だから、まず私が笑っていないといけないのだ。

れんたろうが安心してどこにでも行けるように、

安心して帰ってこれる場所を作らなくちゃ。

 

それが今、自分のやることなんだと思った。

無理しない、焦らない、自分を責めない。

のびのび、育つように育て。れんたろうも、私も。

 

 

 

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