音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

諦める、委ねる

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ちょうど今日から妊娠7ヶ月に入る。

予定日まであと3ヶ月。

この夏が過ぎて涼しくなる頃には、

お腹の中にいる子は外に出て抱っこしていることになる。

このあいだ、クリーニングに出していた冬服を片付けていて、

「次にこれを出したときには、また着られる自分になってるんだ」と思ってびっくりした。

 

お腹がだいぶ大きくなってきて、近所の人や保育園のママさんたちにも

「もしかして妊娠してる?」と聞かれるようになった。

家にあるボトムスがすべて入らなくなったので、ワンピースを数着新調した。

れんたろうのときは冬に臨月だったので、

それに比べると夏服は新調するものが少なくて助かる。

 

日々、刻々と身体が変化している。次から次に新しい変化が訪れる。

安定期に入るまでは肌荒れと貧血に悩まされ、

安定期に入ってからは夜よく起きるのでとにかく眠たい。

特に今はむくみがひどくてよく脚がつる。肩こりと腰痛もひどくなった。

お腹が張るので早足も無理だし、自転車にも長くは乗れない。

動いたあとのリカバリーに倍くらい時間がかかる。

 

妊娠すると、これまで培ってきた自分の体型や体質が一旦おじゃんになる。

身体のラインが急激に変わるし、肌質も食の好みも変わる。

身体だけでなく、仕事や交友関係も一回リセットされる。

何においても、ずっと変化が要求される期間だから、心を柔軟にしておかないとすぐにぽっきりやられてしまう。

 

れんたろうのときにそれを経験して、すごく辛かった。

妊娠生活ってもっと愛に溢れていて、ゆったりしたものだと思っていたのに、

実際はマイナートラブルの嵐と、どうすることもできない焦燥感・欲求不満だらけ。

それらひとつひとつに対応するだけでいっぱいいっぱいだった。

(生まれてからは赤ちゃんがかわいすぎてそういうのすべて吹き飛んだけど)

 

 

 

二人目の今は、前よりもずいぶんマシ。

家事・仕事に育児がプラスされて、一人目のときより忙しくてそこまで気がまわらないっていうのもあるけど、

一番は、ある程度「諦める」ことを身につけたことが大きい。

 

 

これはれんたろうを妊娠したときに学んだことだけど、

諦めることは悪いことじゃない。

むしろ諦めることで軽くなって、前に進めるようになる。

 

逆に固執すると、前に進めない。

無理が生じるから身体を壊すし、何より自分が楽しめない。

「自分はこんなに頑張ってるのに」という不平不満が自然と出てしまう。

結果、まわりに気を遣わせてしまう。

そんなのいいこと何もないじゃんってわかった。

 

だから、妊娠・出産という変化の時期はどんどん諦めていけばいい。

 

これは、すべてを投げ出す諦めじゃなくて、流れを止めないための諦め。

自分の持っているものや気持ちを手放して、託して、預けて、任せて、

とにかく身軽に柔らかくいること。

しがみつかない、凝り固まらない。どんどんまわしていく。

 

そういう「諦める」は、言い換えれば「委ねる」ことだ。

 

 

今はわたしが委ねさせてもらう立場だけど、

いつかわたしが、誰かの諦めを手助けする、委ねてもらう人になればいい。

最近読んだネットの記事で、そういうのを「恩返し」ではなく「恩送り」というのだと知った。

子育てってそういうもんだよな、と、二人目にしてようやくわかった。

 

この恩は、いつか違う形でお返しします。

そうやって、生命の営みは連綿と繰り返されてきたんだなあ。

 

ただ受け取り、渡していく。

「自分」をなくして、その流れに溶けること。

自分はその流れの一員でしかないという感覚は、結構心地いい。

 

 

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