音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

新しく「お母さん」になる

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二人目出産の予定日まであと4日になった。

れんたろうのときは予定日の4日前に生まれたので、二人目ももうそろそろかなあと思う。

でもこればかりは赤ちゃんのみぞ知る、だ。

赤ちゃんはお腹の中で順調に大きくなっていて、現在3000g近くあるらしい。

 

ラストスパートという感じでお腹が急に大きくなって、股関節や腰が痛い。

一晩に1,2回必ずトイレで起きるので寝不足だ。毎日とても眠い。

朝まで熟睡、というのがもうこれから1年くらいできなくなるので、その練習なんだろうと思っている。

 

数日後には子供がひとり増えているのだと思うと不思議な気持ちで、まだ実感がわかない。

わたしの細胞から分裂して、へその緒や胎盤で同じ栄養をわけて大きくなってきた赤ちゃん。

確かにお腹の中にいるのだけど、顔も見たことがないし、声も聞いたことがない。

れっきとした自分とは違う人間が、「わたしの子供」として生まれてくる。

その子にとっても同じで、顔も見たことがない(声は聞こえてるかな)人間が、「今日からあなたのお母さんよ」と現れる。

そしてその日から、一生懸命育てる日々が始まる。二十四時間休みなく、わたしたちは一緒にいることになる。否応なしにわたしたちは母子になる。改めて考えると、ものすごい適応能力だ。

 

出産は本当にエキサイティングだなあと、心から思う。

 

 

れんたろうが生まれたとき、これまでに感じたことのないものすごい多幸感が体内からとめどなく湧いてくる感じだった。

興奮しすぎて、疲れ切っているのに一睡もできなかった。

隣のベビーベッドで眠るれんたろうの顔を何度も何度も見にいったりして、触ったり、においをかいだり。

れんたろうが泣き出すとびっくりして、どうやって抱っこしていいのかわからなくて、おろおろして。

助産師さんを呼んで、「なんで泣いてるんでしょう」と聞いたりした。

おっぱいをあげるとすごい強さで吸うので驚いた。乳首が傷だらけになってすごく痛かった。

それでも微熱が続く頭で、「骨がすかすかになるまで何人でも赤ちゃんを産みたいな」と考えた。

かわいくてかわいくてしかたなかった。

 

あとから、お産のときには多量のアドレナリンが出ると聞いた。

普通の状態で陣痛と同じくらいの痛みに襲われると気を失うらしい。

それくらいアドレナリンが出ないと、出産なんて痛いことはできないのかもしれない。

 

 

このあいだ、ラマーズ教室というのが産院であった。

臨月近くの妊婦さんが集まって、ラマーズ法とか、リラックス法とかを助産師さんから教わった。

そのとき、この産院で録ったという、出産シーンの映像を見せてもらった。

助産師さん側から見た映像だったので、脚の間から赤ちゃんの頭が旋回しながら出てくるのがばっちり見えた。

テレビ視聴者向けに加工されているビデオではないため、もうほんとばっちり見えた。

 

むちゃくちゃ痛そうだった。

冷静に見ると、物理的に無理だろう、という感じで、「これは確かにアドレナリン必要だわ」と納得した。怖かった。

 

赤ちゃんはゆっくりゆっくり出てくる。

頭が出てくると、たまっていた血がどうっと出て流れた。

羊水でむくんだ顔をお医者さんが布でふくと、赤ちゃんが声をあげて泣き出した。

男の子ですよーって言われて、お母さんはうなずきながら泣いていた。

 

 

後ろで、妊婦さんふたりが鼻をすすって泣いていた。経産婦さんと初産婦さんだった。

わたしもちょっと泣きそうになった。

 

わたしはれんたろうのことを思い出していた。

「お兄ちゃんになるね」と言われて、一丁前ぶったり赤ちゃん返りしたりしている4歳のれんたろう。

その前の日も、わたしに怒られてしょぼくれていたれんたろう。

彼もこんなだった。むくんだ顔で、爪が伸びてて、真っ黒な目をして、小さくて、頭ぐらぐらしてて。

無条件に守られ、愛され、大事にされる存在だった。

それを思い出して、なんだか泣きそうになった。

 

ふたり目の赤ちゃんを産むときに、一緒にれんたろうをもう一度産みたいな、と思った。おかしな話だけど。

わたし自身が新しく「お母さん」になって、新しくふたりを愛せたらいい。

 

自分よりも大事なひとがまたひとり増える。

そのひとたちを守れるように、いつも新しく、強くいたいなと思う。

 

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