音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

「選ぶ」の練習、「出会う」の練習

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まだ廉太郎が保育園に通っていたときだったと思う。

コンビニで廉太郎に「好きなお菓子選んでいいよ」と言ったら、ずっと悩んでいたことがあった。

 

あんまり長く悩むので、

「早くしてよ」

とイライラしてしまったのだけど、廉太郎は本当になかなか選べないようだった。

 

コンビニを出たとき、廉太郎が

「だってぼく、えらぶのにがてやねん」

と泣きそうな顔で言った。

 

その顔をみて、「ああ、これは悪いことをしたな」と思った。

うちは買い物を、生協の宅配で行っている。

それなので、スーパーやコンビニに行く機会がかなり少ない。

子どもたち用のお菓子は生協で買ったり、人からいただいたものがほとんどで、廉太郎は「自分でお菓子を選ぶ」ということをほぼしたことがなかった。

 

つまり、「選ぶ」という練習をさせたことがなかったのだ。

それは時間かかるよな、と思って反省した。

 

 

それ以来、なるべく買い物の際には廉太郎に選ばせるようにしている。

「好きな本一冊買ってあげる」とか「好きな靴選んでいいよ」とか言って。

 

ときおり、というかほとんどの場合、彼の選んだものはわたしの意に沿わないし、趣味に合わない。

好きな本と言えば付録をたっぷりつけた『テレビくん』を持ってくるし、好きな靴と言えばぎらぎらに光っている「シルバーがかっこいい」靴を持ってくる。わたしは「絵本にしてほしいなあ」とか「ニューバランスとかナイキのほうがおしゃれなのになあ」とか思うのだけど、そこはぐっとこらえて財布を出す。

大事なのは「自分が選ぶ」ということ。そして、「自分が選んだものをそばに置く」という体験を、積み重ねることなのだ。

 

 

人生というのは「選ぶ」の連続であると思う。

何を手に入れ、誰と付き合い、どう行動するか。

何もかもを自分の思う通りにすることはできなくても、与えられた条件のなかでより良いほうを、より好きなほうを選ぶことはできる。

 

そしてその「選ぶ」は、ちゃんと練習しておかないとできない。

自分の好きな色、好きな形、好きな人、好きな考え方。

それがちゃんとわかるのは、きちんと「選ぶ」ことを任され、やってきた人だけなのだと思う。

 

 

このあいだ、デザイナーさんと打ち合わせをしていたら、

「おもしろそうな本って、見つけるの難しい」

という話になった。

本屋さんを歩いていても、どの本が自分にとっておもしろい本なのか、見分けるのが難しいと彼は言うのだ。

「土門さんは本が好きだから、そんなことないんだろうけど」

と言うので、そんなことないですよ、と答えた。

 

「おもしろそうな本を見つけたときって、本に呼ばれた、って思うんですよ。だけど、本を読まなくなったり、本屋さんに行かなくなったら、すぐその声って聞こえなくなってしまう。だから、運動神経みたいなものなんだと思います」

 

そうしたら彼は、確かにそうかも、と言った。

「最近よく本を買うようにしているんだけど、だんだんね、自分が読みたかった!って本に会えるようになってきたんだ。上手になってきたのかな」

 

それを聞いて、わたしは「よかった」と笑い、

「いい本に出会うのも練習ですよね」

とふたりで話した。

 

人生というのは「選ぶ」の連続である、と書いたけれど、こうとも言えるかもしれない。

人生というのは「出会う」の連続である。

これもまた、待っているだけ、与えられているだけでは得られない力だ。

そしてもしかしたら、「選ぶ」をやってきた人だけが、「出会う」ができるのかもしれない。

わたしはできるだけ今のうちから、子どもたちにその練習をさせてあげられたら、と思う。

 

 

週末、廉太郎と図書館へ行った。

練習の甲斐もあり、廉太郎はもう自分の読みたい本を見つけられるようになっている(廉太郎は、外国のファンタジー作品を選んだ)。

 

ひとつレベルをあげてみようと思い、赤ちゃんの本棚の前に連れていった。

「朔太郎に、本を選んであげて」

 

すると彼は『げんきなマドレーヌ』を選んだ。

理由を聞くと「おおきくてめくりやすそうだから」と言う。

てっきり内容で選ぶと思っていたので、おもしろい選び方だな、と感心した。

わたしは『うさこちゃんのおじいちゃんとおばあちゃん』を朔太郎に選んでやった。朔太郎はうさこちゃんが好きなのだ。うさこちゃんのことを「にゃーにゃ」と呼んでいるけれど。

 

「朔太郎、喜ぶかな」

そう廉太郎に尋ねると、

「わからん」

と、ちょっとはにかみながら答えた。

まだ見せていないので、今夜見せてみようと思う。

 

 

自分のために選ぶことも、人のために選ぶことも、練習すれば上手になる。

そして好きなものを「選ぶ」ことが上手になれば好きなものに「出会う」ことも上手になってきて、そうすれば人生はとても楽しい。

なぜなら、人生は「選ぶ」と「出会う」の連続でできているから。
その集積が自分の好きなものだったら、どんなにいいだろう。

 

 

少しでも楽しいほうへ、少しでも善いほうへ、少しでも美しいほうへ。

子どもたちが選び、出会った道が、そんな場所へと続いていったらいいなと思う。

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