音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

「いや」と言ったらやめてくれる

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 2歳の朔太郎は、言葉を覚えるのがまわりの子よりもだいぶ遅いらしい。

 

保育園に行くと、朔太郎と同い年の子どもたちが、たどたどしくもしっかりした物言いで「おはよう」「きょう、さむいなあ」「これ、なおちゃんの。かえして」などと言っている。

だけど朔太郎はそのもうちょっと前、「あーよ(おはよう)」とか「ちゃーちゃーの(さくちゃんの)」とか、聞いた感じ何て言っているのかわからない段階。毎日一緒にいるので「ああ、『うっぽ』は『ピーポー』なんだな」とか「なるほど、『うじゅ』は『水』なんだな」とかいうふうにわかってあげられるが、初めて聞く人には何て言っているのかきっとよくわからないと思う。

 

多分、わたしにもまだわかってあげられていない彼の言葉が、気付いていないだけでいっぱいあるんだろう。そういう言葉はいったいどこに行くんだろう? 朔太郎は、誰にも届かないその言葉を宙に浮かばせたまま、伝えたかった気持ちをひとりまた呑み込むんだろうか。そういうことを考えると、大人どうしの人間関係で「気持ちが伝わらない」なんてうじうじするわたしよりも、朔太郎のほうがずっと大人に見えてくる。

 

 

このあいだ、保育園に朔太郎を迎えに行ったら、ちょうど彼が道路の絵が描かれたシートを広げ、車のおもちゃで遊び出そうとしているところだった。

「朔太郎、帰ろう」

と小さな後ろ姿に声をかけると、朔太郎はわたしを振り返り一瞬笑顔を見せたものの、急に表情を曇らせ、それからわーっと泣き始めた。

「どうしたの、朔太郎。もう帰るんだよ」

抱きかかえようとすると、からだを反らせて嫌がる。顔を真っ赤にさせて、涙をぼろぼろ流しながら、「あっちゅった、あちゅた」と腕を振り回して何か訴えている。

「あっち行って、って言ってるの?」

「貸して、って言ってるの?」

そう聞き返してもちがうというふうに首をぶんぶん振る。車のおもちゃを渡しても受け取らないし、朔太郎は床に仰向けになって、歯を食いしばって全身に力を入れながら泣き続けた。

 

すると先生が近寄ってきて、

「朔太郎君にも、予定があったのよね」

と言った。

「いまから、車で遊ぼうと思っていたのよね」

 

朔太郎を抱こうともう一度手を伸ばすと、朔太郎の手がばちんとわたしの手を打った。その瞬間、朔太郎は自分がわたしを叩いてしまったことに驚いたようで、それからまた盛大に泣き出した。思いが伝わらなくて、からまわりばかりしてしまって、それが悔しいというように。

「抱っこしてあげるからおいで」

と言うと、「あっこ、あっこー」と仰向けになったまま悲しそうに泣いた。

 

 

そんな朔太郎が、最近「いや」という言葉を覚えた。

初めて「いや」と言ったのは、ある朝、服を着せようとしたときのことだった。

長袖のTシャツを着せようとすると、

「いや」

とはっきり言うので、

「いやなの?」

と、わたしは手を止めた。

すると、彼は一瞬わたしの顔を見て、そして、少し嬉しそうな顔をした。

それからもう一度はっきりと、「いや」と言ったのだった。

 

「いや」という言葉を覚えるまでは、彼は身体表現でいやがっていた。わたしを手で制しようとしたり、逃げたり、泣いたり。

でもこのとき、朔太郎は気づいたんだと思う。
「いや」と言ったら、やめてくれるんだ、ということに。

 

わたしは、ほかのTシャツを出した。朔太郎の好きなミッキーマウスのシャツ。パトカーのシャツ。だけど、彼はそのどれにも「いや」と言った。

「いや」と言ったらやめてくれる。「いや」と言ったらやめてくれる。

途中からそれを確認するためだけに、朔太郎は「いや」と言い続けているようだった。

「いや」「いやなの?」「いや!」「じゃあこれは?」「いや!」

そしてそれがすっかり確認できると、嬉しくてたまらないというふうにきゃあっと笑って、はだかの上半身のまま、わたしの首にしがみついた。

 

わたしはその短い両腕に抱きしめられながら、朔太郎は今、大事なことを学んだんだな、と思った。

言葉で気持ちを伝えることができるということ。伝われば人が動くということ。

それは、「いや」という2文字がきちんと機能した瞬間だった。 

 

「いや」と言ったらやめてもらえた朔太郎は、堂々として、満ち足りていた。
なんていうのだろう、「自分で自分を守ることができた」そう思っているような顔つきで。

 

彼にだって予定があるし、好みもある。崩されたくないリズムだって、今日の気分だってある。

それらを自分で守ることができたという経験は、きっとものすごく大事で、自分で自分を大切にすることというのは、人に大切にされることで初めて身につくのかもしれないと思った。
だって、「いや」と言っても聞かれないのであれば、「いや」と言うことを諦めてしまう。自分の言葉なんて届かないと思ってしまう。

 

朔太郎の大事な何かを守れたような気がして、心の中でわたしはわたしをちょっと褒めた。

そして、
「ミッキー着ようか」

裸ん坊の朔太郎にそう言うと、朔太郎はもう満足したらしく「いっきー」と言った。

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