音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

好きな絵を描いて、好きなものを作る

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先日の夜、廉太郎の小学校の担任の先生から電話がかかってきた。

出ると、ちょっとお時間いただけませんか、とおっしゃる。

なんだろうと訝しみながら、晩ご飯を食べているこどもたちを目の前に、わたしは先生と話を始めた。

 

「このあいだ学校で作品展があったのですが、お母さんは廉太郎さんの作品をご覧になりましたか」

 

そう尋ねられて、わたしは「見ていないんです」と答える。

参観日のときに体育館で作品展が開かれていたのに、そのことをすっかり忘れてそのまま帰ってしまったのだ。先生は「そうですか」と答えて、ちょっと言いづらそうにした。

 

先生いわく、こういうことだった。

作品展のテーマは「のってみたいな、いきたいな」だったという。みんな、イルカの絵だとか潜水艦の絵だとか、楽しく明るい絵を描いていたのだそうだ。

 

そんな中で廉太郎の描いた絵は、戦車だったのだそうだ。

真ん中に戦車の絵を描き、両脇にはミサイルが落ちている絵。背景は、赤い雨のようなもので埋められていたらしい。

先生の言葉を借りれば「こわい絵」だったのだそうだ。

 

「なるほど」

と、わたしはまずは相槌をうった。実際には見ていないけれど、確かにそれは「こわい絵」かもしれない。

 

だけど、廉太郎は昔から乗り物がとても好きなのだ。車、電車、飛行機、船。最近では戦車や戦艦など、軍用機にはまっている。さまざまな機能を備えた合理的な軍用機に、すっかり心を奪われている。

だから、戦車の絵を描いたのはそんなに驚くことではなかった。ただ、その絵が「のってみたいな、いきたいな」をテーマにした作品展にはそぐわなかったろうな、と思う。

 

先生は、廉太郎に「もう一枚描いてみようか」と提案したのだそうだ。

廉太郎は素直に聞き入れ、今度は恐竜の絵を描いた。

なるほど、廉太郎は恐竜も大好きだから、それはそれで彼の描きたかったものかもしれない。それで彼が納得して、先生も納得しているなら、良かったのではないかな、と思いながら聞いていた。

 

だけど続けて、先生は言った。本題は別にあるみたいだった。

「廉太郎さんは、最近戦争にすごく興味があるみたいで、教室でもよく戦争の話をしているんです。今日なんかは『戦争反対!』と、他のお友達と掛け声をあげていて」

 

それを聞いて、思わず廉太郎の顔を見る。廉太郎はごはんを食べながら、ぽかんとわたしを見返す。

 

「どうしてこんなに戦争に興味があるのだろうと気になったもので、お電話差し上げたんです。廉太郎さん、最近何かあったんでしょうか」

 

そう尋ねられ、なんだかわたしまで心配になってしまった。

だけど戦車が好きなだけで、戦争には反対している平和主義者なのだから、特に問題はないのではないだろうかと思うのだが、そういうことでもないらしい。戦車と戦争がごっちゃになっているのでは、と思う一方で、それらは切っても切れないものでもあるよなあと思う。

 

しかし、先生はわたしに何を聞きたいのだろう。電話口で少し混乱した。

廉太郎さんは争いごとを好む性質を持っているのではないですか、ということだろうか。それとも、廉太郎さんの心を傷つけるようなことが最近あったのではないですか、ということだろうか。それとも、戦争については刺激が強すぎるから興味をあまり持たせないでください、ということだろうか。

 

わたしはしどろもどろしていたと思う。何について話すべきかわからないと、とたんに不安になる。

わたしの故郷が広島だからでしょうか、とか、仕事で今わたしが戦後のことを調べているので資料がたくさん部屋にあるからでしょうか、とか、『新世紀エヴァンゲリオン』とか『この世界の片隅に』とか一緒に観た映画が戦争をテーマにしていたからでしょうか、とかいろいろ言ってみたが、先生はどれも腑に落ちないようだった。

とにかく、先生は少し心配なんだと言った。心配なので、また何かあったら相談させてくださいと。はいわたしも相談させてくださいと、何をどう相談するのかよくわからないままに、しどろもどろしながら電話を切った。

 

電話を切ってから、まだごはんを食べている廉太郎に話しかける。

「戦車の絵を描いたの?」

そう聞くと、

「戦車の絵を描いた」

と言う。

 

「戦車が好きだから?」

と聞くと、

「好きっていうか、かっこいいから」

と、ふてくされたように言った。

 

「でも、戦争が好きなわけじゃないよね」

「僕は戦争が好きなわけじゃない。戦争なんかなくなったらいいって思ってるし。でも、戦車はかっこいいから、好きやねん」

 

なるほど、と思いながら聞く。

すると廉太郎は、

「わかってんねん。戦車に花を描いたらよかったんやろ? そんで、空に星とか描いたらよかったんやろ?」

と、まじめな顔で言った。

 

うーんとわたしは考え込み、

「そういうことかもしれんけど、ママにはわからんな」

と答えた。

戦争の絵を描くな、というのは簡単だけど、どうしてもそれが言えなかった。

それで、「でも廉太郎が好きなものを描くのが一番だとは思う」と言った。

全然答えになっていないな、と思いながら。

 

 

時間が経ってからも、このことをぼんやりと考えていた。

小学校の作品展で求められていたことはふたつだ。

自分の描きたいものを描くことと、場にふさわしいものを描くこと。

戦車は前者に当てはまるが、後者には当てはまらなかった。

だけど恐竜なら、前者も後者もクリアできて晴れて発表できた、ということになる。

 

でも、両方をクリアしないといけないからと言って、後者の「場にふさわしいものを描くこと」を重視しすぎるべきではないと、わたしは思っている。

 

「廉太郎が好きなものを描くのが一番だとは思う」

 

わたしがそう言ったのは、「場にふさわしいものを描くこと」を一番にしたら、「自分の描きたいものを描くこと」ができなくなるからだ。

「自分の描きたいものを描くこと」を第一にして「場にふさわしいものを描く」ことを第二にすることはできるが、その順番を入れ替えることはできない。

 

それは、わたし自身がさまざまな媒体でものを書く上で学んだことだった。

氷みたいなもので、最初から場になじんで溶けてしまったらもう、鋭く刺すことができない。

 

だから、好きなものを描いたらいいと思う。

その戦車の絵が飾れる場所も必ずある。

今回は場所にそぐわなかっただけで、作品自体が悪いわけではない。

だから、それは捨てないで大事に持っていたらいいんじゃないだろうか。

 

 

「だって廉太郎は、平和主義者でしょう」

そう尋ねると廉太郎は「平和主義者って、平和が好きってこと?」と聞き返した。

「そうだよ」

と答えると、

「そうやで、僕は平和主義者や」

と言う。

 

「だってママ。ママだったら、自分がなんでも願い事を叶えられるなら、なんて願う? 僕はな、世界から戦争がなくなりますようにって願うつもりやで」

 

はっきりとそう言ったあと、廉太郎は、「でも戦車はかっこいい」と付け足した。

 

「それならいいじゃないの」

と笑ったわたしは、担任の先生とどの部分で話し合ったらいいんだろう。いまだによくわからないでいる。 

だけどとにかく、廉太郎には自分の描きたいものを描いてほしいと思うのだ。

それは廉太郎にしかできないことだから。

 

 

 

その翌週、廉太郎は家でダンボールを使って黙々と何かを作っていた。

「何作ってるの?」

と聞くと「戦艦」と言う。

「これ、ミサイルを撃つ部分がまわるようにできてんねん」

とくるくる鉄砲代を回す廉太郎に、わたしは驚いて大いに褒めた。

「工夫してるんやね、えらいなあ」

すると廉太郎は恥ずかしそうに、

「戦艦にはいろんな種類があるからな。僕はまだまだや」

と言った。そしてまたぶつぶつと何か言いながら、作った戦艦に手を入れ始めた。

 

 「好きな絵描いて、好きなもの作り」

廉太郎の顔を見ていたらそんな言葉が出た。

廉太郎は聞いているのだかいないのだか、「セロテープかして」などと言っている。

 

多分、言われなくても作るのだろう。

わたしたち大人の懸念や、配慮はよそに。

 

わたしはそんな廉太郎の作品をこれからも見ていたいと思う。
だからやっぱり、好きな絵を描いて好きなものを作ってほしい。
好きでたまらず自然と作ってしまう、そういうのを見ていたい。

懸念や配慮は、大人たちの役割だ。

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