音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

気持ちそのものに焦点をあてた言葉

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朔太郎がイヤイヤ期だ。文字通り「いや」「いや」ばかり言う。

このあいだ朔太郎を迎えに行ったら、「ママー」と機嫌良く抱きついてきたものの、保育士さんにさよならを言って下足場に行って靴を履かせたあたりから、雲行きが怪しくなった。

 

朔太郎が下足場で座り込んで「ぶぶした」と言う。靴下のことだ。
「靴下? 汚れてるから履かなくていいよ」と言って裸足のまま靴を履かせようとすると、「ぶぶした。とーますのぶぶした」と食いさがる。トーマスの絵の描かれた靴下がいいと言うのだ。
朔太郎は非常に頑固なので、一度言うともう引き下がらない。しかたがなく、靴下の泥をはらって履かせたけれど、すでにもう何かがだめだったらしい。無事トーマスの靴下を履いたのに、むっとした顔をしている。そのあと靴を履かせようとしても「いや」、抱っこしようとしても「いや」、立ち上がらせようとしても「いや」。すべてが「いや」状態になってしまった。

 

「帰ってトトロ見よ?」「外にぶーぶー見にいこ?」と言っても「いや」。
「じゃあもう先に帰るね」「ばいばいするね」と言っても「いや」。
「帰ろう」「いや」「じゃあ保育園残る?」「いや」「じゃあどうしたいの?」「いや」「いや」「いや」。
押しても引いても「いや」しか言わない。ついに泣き出してしまって、「いやいやいや、ぜんぶいや!」と泣き出してしまった。

 

朔太郎はそうやって「ぜんぶいや」状態になることがたまにあるが、こんなにひどい状態になったのは初めてだった。朔太郎は泣いたまま一歩も動こうとしない。
下足場に来てからもう30分近く経っていて、わたしもだんだんいらいらしてきた。もう本当に帰っちゃったらどうなるかな〜保育士さんが見てくれんのかな〜……と思いながら無言で突っ立って見下ろしていると、外で遊んでいた年上の子供たちが入れ替わり立ち替わり集まってきて、
「さくたろうのお母さん、どうしたん?」
「さくたろうのこと、怒ってんの?」
と不安げな顔で声をかけてきた。

 

「朔太郎が、『いや』って言って帰ろうとしないんよ」
と答えながら、ふと気づく。子供たちはわたしのことを聞いているのであって、朔太郎のことを聞いているのではないのだった。そのことがなんだかすごく興味深くて、わたしはもう一度正しく子供たちに答える。
「だから、どうしたらいいのかわからんくて、困っとる」

 

すると子供たちは納得したようで、
「どうしたらええんやろうな」
「さくたろう、泣くのやめはったらええな」
と言って、また園庭へと走っていった。

 

その後ろ姿を見ながら、よく見ているなあと思う。わたしは声を荒げたりはしていなかったけれど、普段とずいぶん違う雰囲気をかもしだしていたんだろう。わたしの顔をのぞく、心配そうな顔。それで別に何をするわけでもないんだけど、でもそうやって声をかけて気遣ってくれる子供たちがなんだかすごく大人びて見えて、わたしも少し冷静になることができた。

 

そのあと通りかかった保育士さんが、
「さくちゃんどうしたの?」
と声をかけてくれた。
朔太郎は保育士さんにたいしても「いや」「いや」と泣き叫び続ける。だけど、ほんの少しだけよそ行きの顔になったのがわかった。わたしよりも「いや」のあたりが柔らかいので感心した。内と外のちがいを、ちゃんとわかっているのだ。

 

「さくちゃん、もう何が嫌なんか自分でもわからへんくなってるやろう」
と保育士さんがにこにこしながら言う。
「いややなあ。もうようわからんけど、とにかくいやなんよなあ。大丈夫やで。先生もママもわかってるで」
そして朔太郎の背中をとんとんと優しく叩いた。すると不思議なことに、すーっと朔太郎が泣き止んで、ひっくひっくとしゃくりあげ始めた。

 

その光景に、すごいなあと目を見張ってしまう。
朔太郎はしぶしぶといったていで、保育士さんが差し出す靴に足をねじこんだ。そして立ち上がって、しゃっくりしながらわたしの手を握った。

 

わたしは保育士さんに「ありがとうございます」と言う。保育士さんは「いえいえ。大変でしたね。お気をつけて」と見送ってくれた。

門へと向かう途中で、さっき声をかけてくれた年長の女の子に声をかけられる。

「さくたろう、泣き止んだんや。よかったなあ」

 

 

保育士さんも、子供たちも、とてもやさしいなと思った。

わたしは「どうしたいの?」「どうすればいいの?」と詰問してばかりだったけれど、保育士さんは朔太郎の気持ちに、子供たちはわたしの気持ちに寄り添ってくれた。

 

「いややなあ」「どうしたらええんやろな」
それは問題そのものではなく、問題を感じているわたしや朔太郎の気持ちそのものに焦点をあてた言葉だった。
だからわたしも朔太郎も、冷静になったんだろう。多分わたしたちは、気持ちに焦点をあててもらうことで、「気が済んだ」のだ。

 

「朔太郎」と声をかけると「うん」と言う。顔が涙と鼻水でびしょびしょだ。
目が合うと「はなー」と言うので、ティッシュで鼻を拭いてやった。

「いっぱい泣いたなあ」と言うと、朔太郎はまた「うん」と言った。

 

気が済んだ朔太郎の顔はやっぱりかわいい。

それから手をつないで、一緒に帰った。

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