音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

わたしよりもずっと優しい人間

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最近廉太郎によく怒っているなあと思う。

宿題をやってない、服を着替えていない、お風呂に入っていない、野菜を食べていない、連絡帳を出していない、時間割を揃えていない、ベッドに入っていない。

子供を怒る原因には事欠かない。むしろ、怒るために原因を探しているようだ。わたしが怒ると廉太郎は声が小さくなり伏し目がちになる。なんで返事をしないの。それでまた、怒る理由をわたしは見つけ、「ほらこれだ」と高々と掲げる。多分、わたしは嬉々とした顔をしているんだろう。そんな自分にうんざりする。

 

廉太郎を怒ると、ときどき朔太郎がわたしを怒るようになった。

「ちょっと廉太郎!」と声を上げると朔太郎がやってきて「だめ!」と言う。廉太郎にではなくわたしにだ。「だめ! やめて!」それをわたしが無視してなおも廉太郎に言おうとすると、今度は廉太郎のほうに走り寄ってしがみつく。多分、抱きしめて庇おうとしているんだろう。廉太郎は反射的に朔太郎を抱きしめ、兄弟でひしと抱き合う形になる。

それを見ていると、子供って優しいんだな、と思う。頭ではわかっている。廉太郎が悪い子だから怒っているんじゃない。わたしに余裕がないから怒っているのだ。廉太郎とは関係のない場所で、わたしのなかで膨れ上がったあれこれが、廉太郎に向かって吐き出されているだけ。だって、彼が歯磨きを忘れようが、彼がTシャツを後前に着ようが、彼が音読をしないで学校に行こうが、そんなことは本当はどうだっていいことなのだ。だって、何にも悪いことなんかしてないんだから。悪いことをしているのはわたしだ。八つ当たりは、悪いことだから。

「ごめん、疲れてる。ママは今、まったく余裕がない」

わたしがそう言うと廉太郎は「僕が悪いねん」と必ず言う。自分の息子なのに、その優しさにいつも驚く。いや、ママが悪いんだ。そう返しながら、そういえば最近、廉太郎はわたしのことを「ママ」と呼ばないで「お母さん」と言うな、と思った。廉太郎はわたしよりも、ずっとずっと早く大きくなっていく。

 

きのう、廉太郎を学童に迎えに行ったとき、廉太郎がわたしの顔を見て

「今日は疲れてる?」

と言った。それで「疲れてる」と正直に答えた。すると彼はわたしの手提げ鞄を手にとって、

「持ってあげる」

と言ったのだった。

 

自分が子供だったときはどうだったろう?母が疲れた顔をしていたら何て声をかけたかな。

ランドセルを背負ったまま、わたしの手提げ鞄を持ったまま、中庭を走り出す廉太郎の背中を見ながら思い出す。

百歩譲って「持ってあげようか?」だったな。

「持ってあげようか?」

こましゃくれた子供だった自分の声が聴こえてくるようで、苦笑いしてしまう気持ちになった。わたしはなんにも変わってない。

 

廉太郎も朔太郎も、わたしよりもずっと優しい人間に育っている。

彼らを傷つけるようなことや、踏みつけるようなことはしてはいけない。

いつもそんなことを誓う。何度も何度も。今度こそ、ちゃんと守ろうと。

 

その誓いを自ら破ったとしても、それでも何度も。

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