音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

わたしという人間として「母」であること

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最近『よつばと!』という漫画を読み返した。

 

もう何度読み返しただろう。疲れたときや気が塞いでいるときに、よく手に取っている。
『よつばと!』は決してわたしを傷つけないし、拒まないし、とても優しい。
わたしは、この作品が本当に好きだ。

 

よつばは、5歳の女の子。翻訳家の「とーちゃん」とふたりで暮らしている。
お隣には三姉妹と両親が暮らす家があり、よつばは毎日のようにその家に遊びに行く。
あるいはときどき、よつばの家にジャンボとやんだ(とーちゃんの友達)が遊びに来る。
それで彼らは、牧場に行ったり、花火大会に行ったり、家電量販店に行ったり、本棚を作ったり、ホットケーキを作ったり、お隣の風香の通う高校の学祭に行ったりする。
夏には海に行き、秋には栗拾いに行き、「からだにわるい」から週に一度だけカップラーメンを食べ、「今日は半額」だから焼肉屋にみんなで焼肉を食べに行く。
日常を祝福し、日常に祝福される登場人物たち。
『よつばと!』を読むと、わたしは宗教的なものに向かい合っているような、敬虔な気持ちになる。
そして、死ぬときのことを考える。死ぬときに「なぜわたしは『よつばと!』のような暮らし方ができなかったのだろう」と後悔するのだろうなと、いつも狂おしいほどの憧れと一抹の切なさを感じながら読んでいる。そして、「よし、ちゃんと生きよう」と思うのだ。
だからわたしは、(もう一度言うけれど)この作品が本当に好きだ。

 

 

「『よつばと!』に出てくる大人みたいになりたいな」
このあいだわたしはふとそんなことを言った。編集者とごはんを食べているときだ。彼は「どうして?」とわたしに尋ねた。
「いろいろなところに遊びに連れてってくれたり、日常のささやかなことを一緒に楽しんでくれたりして、そんな大人のもとで育ったほうが子供たちにとっても良いと思うから」

 

わたしにはそんな能力もなければ余裕もない。もともと、遊ぶのが下手なのだ。アウトドアにも、アミューズメントパークにも、遠出にも縁のない人生を送ってきた。
休みの日には何をしていたかというと、近所の図書館に行って本を読むくらい。それが、ほとんど唯一のわたしの「遊び」だったので、子供たちにもその遊びしか教えられない。しかもわたしは、締め切りに常に追われていて精神的に余裕がない。
「締め切りの前にはぴりぴりするし、返事をする余裕すらなくなるときがあるのよね。そういうとき、申し訳ないなって思うよ。『よつばと!』の大人みたいな大人だったらよかったのになあって」

 

すると編集者は「君は今のままで、十分なんじゃないかな」と言った。
「君は子供たちの前で文章を書いているんでしょう。『ものを書く』ということがどういうことなのか、それを間近で見られるのは、廉太郎君たちにとってはとても良いことだと思うけどな」

 

 

最近、廉太郎はひとりで外に遊びに行けるようになった。

休みの日、ご飯を食べ終わると「いってきまーす」と元気良く出かけていく。
近所の公園で、友達とちゃんと待ち合わせをしているそうだ。このあいだまで時計も読めなかったのに。そして、公園やら友達の家のガレージやら、いろいろなところで遊んでいるらしい。

 

廉太郎が出ていくと、わたしは朔太郎とふたりで家にこもる。
本を読んだり仕事をしている横で、朔太郎がぶつぶつとひとり遊びをしている。
朔太郎は仮面ライダーが大好きで、人形を手にしながら、ずっと「かみんらだー、じ、おーう」(仮面ライダージオウ)とつぶやいている。
すごい集中力だ。じっと見ていても気づかない。ふと目が合うと、恥ずかしそうにする。そして走ってぶつかってきて、「みてみて、かみんらだー」と言って顔の近くに仮面ライダーの人形をぐいぐい寄せてくる。

 

夕方に帰ってきた廉太郎は、服も靴も泥だらけだ。それですぐさまシャワーを浴びさせる。

「今日は何してたの?」
と、シャワーを浴びた廉太郎に尋ねると、
「今日は、化石を探してた」
と言う。
「でも、とちゅうで雨が降ってきたから、ガレージの中で傘で秘密基地つくった」
「楽しかった?」
「すっごく楽しかった」

 

ふうん、と答えると、廉太郎が、

「お母さん、仕事終わったの?」
と聞いてきた。
「え? うん。なんで?」
そう答えると廉太郎は、
「久しぶりに、明るいから」
と言った。

 

そうかな、と答えると、うん、と言う。

多分、いつもは暗いんだろう。締め切りの前はとくに。

 

 

これでいいのかなあ、と思う。

わたしには、化石さがしや秘密基地ごっこはできないけれど、書くところは見せられる。人は書けなくなるとどうなるのか、締め切りを前にするとどうなるのか、そういうところならいやというほど見せられる。それが、彼にとって良いことなのかどうかはわからないけれど。

大人になった廉太郎や朔太郎が振り返ってみて、「うちのお母さんはものを書く人でね」と語る姿を想像してみる。そのとき彼は、どんな顔をしているんだろう。できたら、笑って話してくれたらいい。

 

わたしはわたし以外にはなれない。

わたしという人間として「母」であることしかできない。

それならば、わたしはわたしとして一所懸命生きる姿を見せるしかない。

 

『よつばと!』のとーちゃんも、締め切り前にはぴりぴりしたり、余裕がなくなったりするのかな?と思う。

するんだろうな。だって、とーちゃんだって、親である前にひとりの人間なんだから。

 

今度の締め切りが終わったら、どこかに遊びに行けたらいい。

どこがいいのかわからないから、廉太郎に聞いてみようと思う。
遊ぶことに関してなら、もうとっくに廉太郎のほうが詳しいのだから。

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