音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

できることをやる、できることを知る

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落ち着かない日々が続いている。

 

コロナウイルスの影響で、京都市も先月に引き続き、今日からまた休校が決まった。

廉太郎が、始業式以来毎日大量のプリントを持って帰ってきて、その全部に目を通している。体温を測って健康チェックシートに記入してはんこを押したり、来週からの学校での預かり申込書や学童への書類を出したり、週一の登校日の参加是非を書き込んだり、持っていくものや予定をチェックしたり。
まるっと2か月間休校になるだなんて、以前は思ってもみなかったし、もしかしたら来月も続くかもしれない。先はまったくわからない。

 

 

この騒動が始まって心配になったことは、感染する/させるとか、経済への影響とか、いろいろあるけれど、まずは自分のメンタルの浮き沈みについてだった。自分にとって、いちばん身近な問題。そして子供にとってもいちばん身近で、大きい問題じゃないかなと思った。

 

たとえばわたしがニュースを見て不安になって、ずっとそわそわしたり暗い顔をしていたり毎日言うことが変わっていたら、子供も落ち着かないし心配になるだろう。

または、仕事がスムーズにできなくなったとか将来が不安だとか自炊が大変だとかで、イライラして八つ当たりでもされたら、子供にとってはすごくしんどいことだと思う。

実際、海外では外出規制で家にこもりっぱなしになった結果、DV率が上昇しているというニュースも聞いたことがある。

閉塞的な空間では、人間関係が歪みやすい。力を持っている人が暴走し始めたら、逃げる場所も止める人もなくなってしまう。しかも、こんなに不安定な情勢のなかでだったら、なおさら暴走しやすいだろう。

自分がそうならない可能性がないなんて、わたしには到底言えないな、と思った。

以前からつねづね「だれもが子供を虐待する可能性を持っている」と思って生きているので、取り急ぎわたしがやるべきことは、(予防以外に)自分のメンタルの管理だな、とここ最近ずっと思っていた。

 

でも、わたしは本来メンタルの管理が非常に苦手だ。

コロナウイルス騒動以前から、なんでもないことで不安になったり落ち込んだりすることが多かった。

そんなわたしがこの不安定な情勢下、一体どうすれば子供に悪影響を与えないですむんだろうか。

いろいろ考えた結果、ふたつのやり方をとることにした。

 

まず、自分のメンタルのためにできることとして、スマートフォンからTwitterとFacebookのアプリを消した。
アプリを消しただけなので、ブラウザからは見ることができるのだけど、それでもずいぶんとSNSを見る時間が減った。ニュースやみんなの発言を見て、一喜一憂する時間がかなり減って、それだけでも精神的にずいぶん楽になった。ニュースは毎朝のNHKを15分ほど見れば、世の中の動きがだいぶわかるんだなということもわかった。

 

次に、子供への接し方のためにできることとして、「いい親」の因数分解をすることにした。
「いい親」のイメージとしてすぐに思い浮かぶのは「優しい」とか「おだやか」という言葉だ。
廉太郎や朔太郎が悲しそうな顔をするときって、決まってわたしが怒るときだから、それがなくなったら子供にとっては結構「いい親」なんじゃないかなと思ったのだ。でも、

「もっと優しくしなくっちゃ」「怒らないようにしなくっちゃ」「もっといい母親にならなくっちゃ」

子供のことをきつく怒ってしまったり、八つ当たりしてしまった翌日なんかによくそんなことを思うのだけど、それが実行されたためしはない。

これは、「優しく」とか「怒らない」とか「いい親」という言葉が抽象的すぎるからなのだと思う。「優しく」とか「怒らない」とか「いい母親」ってなんだろう?ということを、もっと具体的にわかりやすいところまで、そしてさらに「できるところ」まで落とし込まないと、多分わたしは変われないだろうなと思った。

だからさらにその3つを因数分解して、具体的なアクションまで落とし込んでいった。そのなかで、自分ができそうなことを見つけようというわけだ。

 

その結果、残ったのがこの3つだった。

「暴力をふるわない(手をあげないのはもちろん、大声を出したり脅したりしない)」

「乱暴な言葉遣いをしない」

「声をかけられたら返事をする」

書いているのが恥ずかしくなるほど当然のことだけど、振り返ってみればできていないこともある。でも、これを機にちゃんとこのリストを塗りつぶせば、確実に「優しく」「怒らない」「いい親」に近づける気がする。

 

何より大切なのが、これならできそうだということだ。

イライラしても、くよくよしてもいい。自分の感情を抑えるのではなく、その表現方法を少し変えるだけ。ただこの3つさえ守れば、不安定ななかでも「いい親」に確実に近づけるんじゃないか。そんなふうに思って、日々この3つを気にかけている。

 

 

多分この騒動は長期戦だ。一喜一憂していては身がもたない。

だから、できないことを無理してしないこと。他人や以前の自分と比べないこと。

自分のできることだけを、できる範囲ですること。

 

きっと今求められているのは、「できることをやる」、そしてそれ以前の「できることは何かを知る」という力なのだと思う。

つい不安になってしまうけど、そのたび愚直に、自分が見つけた「できること」を無理せずにやっていく。

そんなふうに、自分の大きさ、自分の足元を、もう一度見直すチャンスなんだろうな、と思いながら日々暮らしている。

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