音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

笑顔の記憶

251B40F1-DC46-4E4A-BEF7-E66A489CF56B

七夕の数日前、廉太郎が小学校で短冊にお願い事を書いたと言うので、何をお願いしたの?と聞いたら、

「お母さんの本がもっと売れますように、って書いた」

と言うので驚いた。

確かにものすごく大事なことだが、それはわたしのことであって、「廉太郎は廉太郎のお願い事をすればいいのに」と咄嗟に返す。たとえば、Nintendo Switchが欲しいとか、将来映画監督か漫画家になれますようにとか、いろいろあるでしょう。

だけど廉太郎は、

「お母さんが笑顔だとうれしいから」

と言った。

わたしが笑顔でいることが、彼の願い事なのだと言う。自分の本が売れるたびにわたしが笑うのを、廉太郎はよく見て知っているのだ。

「いい子だね、ありがとう」
と言いながらも、子供たちの日々の幸福や喜びや安心感は、母親であるわたしの機嫌や状態ひとつにかかっているのかもしれないなと思い、大きな責任も感じたのだった。

 

「お母さんの願い事はなに?」

廉太郎にそう言われて、考える。それで、

「廉太郎たちが元気にたのしく暮らせますように、かな」

と言った。

言ってから気づいたのだけど、わたしの願い事も、彼らが笑顔でいることだった。

 

 

子供は親の表情をよく見ている。

廉太郎はわたしがため息をつくとすぐに「疲れてるの?」と言って肩をもんでくれるし、朔太郎は「おこってるの?」と言ってわたしが以前「かわいいね」と言ったぬいぐるみを手渡してくる。

 

廉太郎と朔太郎は、願い事をするまでもなく毎日笑顔でいるのに、わたしはあんまり笑顔を出さない。仕事で疲れているとか、低気圧でしんどいとか、いろいろ理由をつけて、こわい顔で家事をしている。テレビを見ているときなんかにわたしがふふっと笑うと、子供たちが「笑ってる!」と喜ぶので、恥ずかしくてますます笑えなくなった。まるで自分のほうが反抗期の子供みたいだな、と思う。

 

もっと優しくなりたい。いつも笑顔の、穏やかなお母さんになりたい。

子供が生まれてからずっとそう思っているのに、なかなか叶えられない。

そのことがときどきとても悲しくなって、たとえば、廉太郎の書いた短冊の話を聞いたりしたあとなんかに泣きそうになる。

 

でもこのあいだ写真を見返していたら、写真の中に時折映る自分が、子供と笑っていることに気がついた。子供たちと自撮りしながら、嬉しそうに笑っている。

「みせて!」と廉太郎と朔太郎が背中に乗ってきて、スマートフォンの中を覗き込む。

「めっちゃ楽しそうやな」

と廉太郎が言ったので、そやな、と答える。朔太郎なんか笑いすぎてブレていて、それがおもしろくてつられて笑ったら、

「わらったらあかん!」

と怒られた。

 

自分が気づいていないだけで、わたしだって割とよく笑っているのかもしれないな、と思った。写真の中の子供たちはどれもよく笑っているけれど、それを撮るわたしも、きっと笑っているんだろう。

 

これからも、笑顔の写真をたくさん残そうと思った。いつも笑顔で穏やかなお母さんだったねと、子供たちの記憶が捏造できるように。記憶も捏造し続ければ、きっと現実になる。

 

子供たちが「子供のころ楽しかったね」と思い出せるように、今を作っていきたい。

2020年8月のアーカイブ

これまでの連載