音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

好きなものの話

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子供たちを見ていると、好きなものが多いなーと思う。

彼らはよく「自分はこれが好きだ」と明言している。

 

廉太郎は『鬼滅の刃』が好きだ。中でも「村田」という登場人物が大好きとのこと。村田なんて人いたっけ?と思って確認したら、脇役の目立たない男の子だった。廉太郎は目立つ人よりも目立たない人が好きなのだそうだ。なんとなく親近感が湧くのだという。

食べ物では、最近たくあんにすごくハマっている。この間買ってきたら大喜びで、たくあんだけでご飯一杯すぐ食べられる、と言っていた。彼は「名脇役」みたいなものが好きなのかもしれない。

 

朔太郎は、『仮面ライダー』が好き。今は「セイバー」という主人公のシリーズになっているのだけど、この間そのフィギュアを買ってやったら「ああ、せいばーって、だいすきやなぁ」と、ひとりでしみじみ言って眺めている姿を発見して笑ってしまった。

食べ物ではふりかけおにぎり、焼きそば、餃子など、味のついた炭水化物が好きっぽい。「さくたろう、これだいすきやねん」と言って夢中で食べる。

 

「お母さんは何が好きなの?」

わたし自身、子供によくそう尋ねられる。

「好きな食べ物は?」

「好きなテレビ番組は?」

「好きな色は?」

尋ねられてから考えても、よくわからない時があって、なんだろうと考え込んでしまう。

 

でも昔、わたしもよくこういう質問をしていたなと思い出した。

大人を捕まえては、「好きな果物は?」「好きな動物は?」と聞き出していた。そこで大人が答えをくれると、彼らが自分と同じ「子供」になってくれるような気がして嬉しかったから。

 

大人って、「好き」ってあまり言わないなと思っていた。それがなぜなのか、昔はすごく不思議だった。

でも気づいたら、自分自身がそんな「大人」になっていたのだ。

 

思うに、大人になると「好き」で動くことが少なくなってくる。

「何が食べたい?」「どこに行きたい?」「何が欲しい?」

子供の頃はよくそう聞かれていたけれど、大人になるとなかなか聞かれない。自分で決めて、自分で買って、自分で用意する。そうなると純粋な「好き」以外の、さまざまな動機が入り混じってくる。予算、効率、人の目、などなど。そうしているうちにだんだんと、純粋な「好き」を認識する瞬間が減っていくのではないだろうか。

 

それに子供の頃って好き嫌いが激しかったけれど、大人になるにつれだいたい何でもいけるようになる。ピーマンも人参も、牛乳も納豆も。それらにもいいところがあるということを頭で理解できるようになったからだろう。でも子供は、体で感じたことしか信じない。だから嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好きなのだ。

 

このあいだ廉太郎に

「お母さんは食べ物では何が一番好き?」

と聞かれて、答えに窮してしまった。

それで自分が子供の頃何が好きだったかを思い出し、

「オムライス」

と答えた。

そうだ、わたしはオムライスが好き。ケチャップライスの、鶏肉やマッシュルームが入ってるやつ。

すると廉太郎が「わかるわー」と言った。「オムライス、おいしいよな!」

そのときわたしは、廉太郎の友達になれたような気がした。そうそう。カロリーとか栄養とか作るのが面倒とかどうでもいいよな。オムライスって、ただおいしいんだよ。

 

やっと「オムライス」と答えることができたわたしに対し、廉太郎が

「お母さんって好きなもの少ないよな」

と言った。かつてのわたしのように、不思議な存在を見るような目で。

それでなんとなく悔しくなって

「わたしにだって好きなものあるよ」

と、自分のサンリオ好きを公言したのだった。廉太郎の、そのときの驚きの顔、そして嬉しそうな顔を、わたしは忘れないと思う。

 

以来廉太郎はことあるごとに

「ほらっ、お母さんの好きなマイメロやで!」

などと、サンリオグッズを見つけると教えてくれるようになった。

朔太郎も、お友達がサンリオの服などを着ていると、「これおかあちゃんがすきなやつや」と呼んで教えてくれる。

そしてわたしの表情の変化を見つめながら、

「お母さん、よかったな。マイメロ見つけられて」

と言うので笑ってしまう。

まるで新幹線を見つけたら「ほらっ、見て見て、新幹線やで!」と必死に教えていたわたしみたい。

「よかったねえ、新幹線が見られて」

そう言って、一緒に喜ぶわたしみたい。

 

廉太郎も朔太郎もいっぱい好きなものがあるから、わたしの好きなものを決して馬鹿にしない。むしろ、好きなものが増えることを喜んでくれる。

 

純粋に好きなものについて話しているときだけ、なんだか彼らと友達になれる気がする。好きなものの前では、常識やロジックなどのない、感性の話になるからだろう。そして多分、彼らはその尊さをなんとなく理解している。それを無意識に失っていく人間が、そばにいるからかもしれない。

 

わたしもできるだけ、その尊さを忘れないようにしたい。好きなものの話を、これからも子供たちといっぱいできたらいいなと思う。

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