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俺のFavoriteTunes

どもんらんってどんな人?

音楽が生活をスムーズにしてくれる。
皿洗いや月曜日の出勤だってきっとスムーズにしてくれる。
芸能人と結婚したら「会社員の一般男性」と紹介される俺が、生活の様々なシーンに合わせて選んだお気に入りの曲をコンピレーションアルバムとして紹介します。
普段は一人称「俺」ではないし、芸能人と結婚する予定もないですが。

わたしの平成論(by土門蘭) #みんfav

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前回の記事に書いたとおり、今回は土門蘭による更新となった、と書いているのは『俺』こといしなかしょうごである。

今後も『俺』以外による更新を『みんなのfavorite tunes』略して『みんfav』と銘打って継続していくことにした。興味がある方は遠慮なくお声かけください、こちらからお願いさせていただいたら是非ともご協力ください。

さて、本題。

初めてのみんfavは予告通り土門蘭さん。高校の後輩であり、音読副編集長、友人である彼女はいくつかの職業を経て、二冊の本を出版し、小説家となった。

一貫して「書くこと」に関わり続けてきた彼女の文章は、すうと心に染み込んできて、寄り添ったり、時には荒立てたりする。それは彼女自身が心で書いているから、と前著『経営者の孤独。』を読んでより思うようになった。(宣伝)

初の小説発表前の忙しい中で、みんfavの最初の寄稿者になってもらえたことは非常に光栄である。

そんな彼女の選んだテーマは、平成。

初めて読者として、俺favを楽しませていただきます、みなさんも楽しんでください。(byいしなかしょうご)

 

 

「平成」とはどういう時代だったのか。

歴史学者でも社会学者でも政治学者でもなく、専門的な知識などなにも持っていないが、自分なりに考えてみようと、ある日ふと思い立った。

 

きっかけは、上皇ご夫妻を見かけたことだった。

元号が平成から令和に変わるころ、2度、上皇ご夫妻を見かけたことがある。

1度目は平成の終わり頃(なので当時は「天皇皇后両陛下」)、2度目は令和の初め頃だった。

2度目にお見かけした際には、美智子様と目が合った。自宅の最寄駅に向かいながら、「どうしてこんなに警察が多いんだろう」と思っていたら、突然目の前に黒くつやつやとした車が現れて、その窓から美智子様が手を振って微笑んでくださったのだ。そのときわたしのまわりにはあまり人がおらず、美智子様は確実にわたしに目線をやってくださっていた。

 

そのとき「ああ、『平成』が終わったんだな」と突然理解した。

それまでは元号が変わるなんて2018年が2019年になるのとそこまで変わらないと思っていたのに、急に目の前で「時代」というものが色を変えていくような感覚がした。

 

それはなんだかすごい体験だった。

「時代」ってなんなんだ、すごいな、と思った。

 

わたしは昭和60年生まれなので、ものごころついてからこっち、30年以上の人生を「平成」のうちに過ごしている。

つまり、わたしが生の言葉で語れる時代は、今のところ「平成」しかないということだ。

それならば、一度自分で言葉にしてみてはどうだろう。自分が生きてきた「平成」という時代を、自分なりの言葉で表す。「平成」を語るなんて大げさでおこがましい気もするが、曲がりなりにも一所懸命「平成」を生きてきたんだから、それくらいやったっていいんじゃないか。

 

美智子様は一瞬で通り過ぎたが、道端に残されたわたしはなんだか興奮していた。

それでいま、この文章を書いている。

 

 

「平成」を色で表すと、グレーなんじゃないかなと思う。

白でも黒でもない。その中間のグレー。濃淡が微妙に移り変わり、一定しない。そのなかでたくさんの人が、うすぼんやりとした不安感を持っていた時代だったんじゃないかな、と思う。

 

バブルが崩壊して、大人たちはみな「不景気だ」「不景気だ」と言っていた。将来に対する明るい希望のようなものはなくて、これからはもう下がっていく一方だろう、どこに勤めたってどこにお金を預けたって安心はできないだろう、というような話題が挨拶がわりだった。

うちは貧乏だったので、不景気の波はもろに受けた。溶接工の父は「昔はよかった」と言っていた。働けば働いたぶんだけお金が入ってきたと。そのお金は使ってしまってもうないのだそうだ。「ためとけばよかったのに」と言うと、「みんなそうよ」と言っていた。「みんなもう、なんも持ってない」。わたしにはそう見えなかったが「じゃあしかたないね」と答えた。

 

近所のおじいさんは、公園で遊ぶわたしたちをつかまえて「昭和はよかった」と言った。みんなで一丸となって「日本復興」という目指すべきものがあったという。今はそういうものがない。何を信じたらええかわからん。じゃけえオウム真理教みたいなんができる、と。「オウムって鳥?」と聞くと、「ちがう」と笑われた。

おじいさんは「今の世の中は暗い」と言った。「昔はバナナひとつごちそうじゃった。なんもなかったが明るかった。今はなんでもあるが暗い。子供の元気もないじゃろう。ゲームばっかりしよるけえじゃ。外で遊ばんにゃだめよ」

わたしたちはまさに外で遊んでいる最中でゲームなどしていなかったのだが、なぜか平成の子供を代表して説教された。帰ってニュースを観たら麻原彰晃が映っていて、この人が「オウム」か、と思った。

 

1999年7の月には世界は滅亡するという噂があった。だから勉強したって無駄だ、という子もいた。でも世界は滅亡しなかった。7の月はこともなく過ぎ、みんなそんな噂はなかったかのような顔をしていた。

 

思ったのは、「平成ってかわいそう」ということだった。みんな昔のほうがいいって言うし、どうせ滅亡するって言うし、失われた何年とか言うし。

 

なんだかあまり大事にされていない。そういう「平成」が、だけどわたしは割と好きだった。キラキラしていないところ。やぶれかぶれなところ。どんよりとした曇り空みたいなところ。

晴れの日みたいに高揚感もなく、雨の日みたいに感傷的でもなく、ただただ凡庸な曇りの空。だけどリアリズムは、そういう曇りの日にしか存在しないように思う。太陽や雨に目が眩んでいたり濡れていたりしては、正しい質感や質量ははかれない。

 

夢を見られないから現実を見るしかない。だけどわたしには、そのほうが安心できる。

きちんとした質感と重量で手の中におさまるちっぽけな現実こそ、自分に今確実に「ある」ものだ。だから、そういう歌が好きだった。ちっぽけな現実を、ひとりの人間が歌いあげる。そういう歌をわたしは信用していたし、美しいと思っていた。

 

「平成」ってそういう時代だったと思う。

だからわたしは、「平成」が割と好きだ。

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