音読

スタンド30代

論語に「三十而立」とあるように、孔子は「30歳で独立する」と言いました。
とは言え、きっと最初はうまく歩けないし自信をなくすこともあるだろう30代。
転職、結婚、出産と、覚悟を決めることが多くていろいろ微妙な30代。
でもきっと、その人の思想や哲学が純粋に表に出るだろう30代。
『スタンド30代』とは、そんな今を頑張って生きる30代を、30代になったばかりの土門蘭がインタビューする、「30代がんばっていこうぜ!」という連載です。

書き手:土門蘭プロフィール

【今井雄紀さん】社会人としてちょっとあれでも、とにかく「おもしろい」仕事がしたい。

社会人としてはちょっとだめでも、「おもしろい奴」になりたい。

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今井
RMCに入社したのも、「この会社はおもしろい奴を欲しているんだ」と思ったからです。実際おもしろい人は山ほどいたし、一生付き合っていきたいなっていう先輩や同期にも恵まれました。でも、4年目ぐらいからでしょうか。僕が「この人たちの背中を追っていきたいな」と思ってた人が4人ぐらいいて、その人達が時期こそ違えど全員辞めるっていう非常に示唆的な事があったんです。
土門
4人全員。それは確かに、何かありそうな……。
今井
これはもしかすると、僕がかっこいいと思う仕事、すごいなと思う仕事をする人には居心地が悪い環境なのかもしれないと思って、ちょっとこう、会社のことを濁った目で見るようになって……。
社内表彰されてる人なんか見ても、昔は「誰もできない仕事で150点とっちゃった人」が表彰されてたのに、だんだん、「みんなが100点とれる仕組みを作った人」が表彰されるようになってきてる気がしました。自分の成功体験をシステム化して、共有して、全体を効率化した人が評価されてる感じで。
その方がもちろん会社としては正しいし、経済的なインパクトが大きいから当たり前だと思うし、なんなら僕の目が濁ってたからそう見えただけかもしれないんですけど、でも僕はそういう人になりたいとは全然思わなかったんです。
それで、敢えて二択にするならですけど、「あいつつまんないけど、仕事すごくできるよな」より、「あいつ社会人としてはちょっとあれやけど、おもしろいよな」って言われるような仕事がしたいんだってわかった。甘いと言われればその通りなんだけど、「おもしろい」っていうのが僕にとっては何より大事だってわかったんです。
土門
それで、辞めることを考え始めた。
今井
そう。辞めないにしても、社内での身の振り方とか考えなあかんなってすごい考えてましたね。
土門
退職を決めたのはいくつのときですか?
今井
RMCにいた最後の年、26歳のときですかね。僕が最後に所属していたのが、同期5人のチームだったんです。あるとき聞いたら、僕以外のみんな、僕より年収が高かった。つまり僕は、チームの中でいちばんできない奴だったんです(笑)。
でも、最後の年に、僕めちゃくちゃ良い成績をたたき出したんですよ。売上目標の180%を達成した。それは、そのチームの同期がばんばん売ってくれたおかげなんですけど。僕がどんだけ迷惑かけても、〆切ぶっちぎったあげくしょうもないアイデアしか出せなくても、そいつが全部お金にしてくれた。それで、目標を大きく達成することができたんですよね。
それでその年の評価が出たんです。リクルートの社員評価には、当時「実績評価」と「態度評価」っていう2種類があったんですけど。
土門
「実績評価」は売上目標の達成度に対する評価ですよね。「態度評価」っていうのは、勤務態度の良し悪しとか?
今井
そうですそうです。勤務態度も含め、どれだけ社内に貢献できたかっていう指標ですね。
詳しくは言えませんが、年収はその「実績評価」と「態度評価」から出されるんです。共に目標達成できたら「10」がついて、前年の年収をキープできる。大きく達成すると「11」がついて、それだけで何十万も年収が違ってくるっていう、そういう仕組みでした。だから「11」っていうのはすごい数字なんですよ。
僕はその最後の年に、「実績評価11」「態度評価9」をもらったんです。当時の、すごくよくしてくれた課長に「こんなの初めて見た」って言われました。「普通、実績は態度に伴うものだよ。それがお前、態度悪くて実績良いって、どうなってんの?」って。
そう言われたときにすごく色々考えたんですけど、散々考えた結果、「10:10よりも、11:9の人がいいじゃん」って思っちゃったんですよね。それが自分のなりたい形だった。
でも会社としては、「バランス良く両方を上げていかないと、給料上げられないよ」っていう方針でした。それで、「僕が行きたい方向は、会社が行ってほしい方向と違う」ってハッキリわかったんです。
土門
今井君自身は、「態度が悪くても150点とっちゃう人」になりたかったと。
今井
そうです。
それで、学生時代から仲良くしてもらってるSCRAPの加藤さんに、ぽろっと「会社を辞めようかと思ってる」って相談したんですよ。
そしたら加藤さんが、僕に新書を3冊くれたんです。「最近ここの編集者さんにもらった本なんやけど、今井好きそうだし読んだら?」って。それが、星海社の本だった。
僕それを読んで、めちゃくちゃおもしろいな! って思ったんです。それで星海社を調べたら、「本だけじゃなく、Webとイベントで出版の新しい形を作る」っていうのがテーマの出版社だってことを知って、「これや!」って思ったんですよね。僕はWebも本もイベントも大好きやし、まさにこれやと。
それで彼にお礼を言ったら、「そんなに興味あるなら、3人でご飯いこうか?」って誘ってくれたんです。そのときちょうど、星海社でも人を探してたらしいので。
後日加藤さんが、当時星海社の編集者だった柿内さんにメールを送ってくれたんですが、そこには「今井っていう、むちゃくちゃ仕事ができるかというとそうでもないんですけど、気の良い奴がいますんで、よかったら紹介します」って書かれていました。
 
※ SCRAPの加藤さん…リアル脱出ゲームで知られる株式会社SCRAPの代表取締役・加藤隆生。京都の音楽フェス・ボロフェスタの立ち上げ人でもあり、自身もミュージシャンとして音楽活動を行っている。
土門
ははは。おもしろいですね。だって、今井君は「実績11:態度9」の人になりたかったんですよね? そのメールではまるで逆ですよね。
今井
そうなんですよね。でもその「気の良い奴」っていうのが、もしかしたら僕の持っている武器のひとつなのかもしれないな、ってそのとき思いました。そのメールはずっと覚えてます。

「年収は下がるけど、生涯年収は上がるから大丈夫です」

土門
それで柿内さんと話して「じゃあうちに来る?」って話になったんですか?
今井
いや、柿内さんは人事権を持ってなかったので、「来てほしいけど、正規ルートで突破してもらわないとどうしようもないから、がんばって!」って感じでした。
土門
じゃあ普通に履歴書を出して面接を受けて。
今井
そう。正規の手順を踏んで、無事内定をいただきました。
土門
内定をもらって、「本当にここでいいのか」って悩んだりしませんでした?
今井
ほぼ悩まずに「ここに入ろう」って思いましたね。唯一引っかかってたのは、「正社員じゃなく、業務委託」っていうことくらいで。
土門
業務委託? ということは、今井君はフリーランスの編集者なんですか?
今井
そうなんです。星海社は実は、社員がひとりもいない会社なんです。
土門
へえ。……ちょっと突っ込んだ話をしますけど、給与体制っていうのはどういうふうになってるんですか?
今井
年俸制です。プロ野球選手みたいな感じで、一年に一度面談があって、「来年はどうする?」って話をする。お互いに「来年も契約結びましょう」となったら、「じゃあ次の一年のお給料はこれで」って話をする感じです。
土門
なるほど。でもそれ、不安じゃなかったですか?
今井
うーん、そんなに。それでしか入られへんのやったらしゃあないなって感じで。逆に、星海社の社長と副社長の方が、僕のこと心配してくれて(笑)。前の会社で、20代半ばにしては高いお給料をもらっていたので、それこそ「半分ぐらいになるけど本当にいいの?」って何度も言われましたね。 でもそこで「年収は下がるけど、生涯年収は上がると思っているんで大丈夫です」って答えたら、「気に入った!」って感じになって。
土門
そこでそういう答えが出るのはすごいなあ。何で「生涯年収が上がる」って思ったんですか?
今井
この会社で自分の色を出せたら、自分の価値が上がるかなと思ったんです。例えば、年収の差額が300万だったとするじゃないですか。したいことをして、伸ばしたい力を伸ばすためにその300万を払うって考えたら、別に何も問題ないなと思ったんですよね。
土門
でもイベントやWebの仕事はやってきたけど、編集ってやったことないですよね。どこからその自信は出たんでしょう。
今井
出版業務の経験はゼロだけど、コンセプトを立てて解決策を探るってことはずっとやってきていたから、その根本のところは一緒だと思っていて。だから大丈夫だろうと根拠のない自信はありました。

別に自分じゃなくてもいいものは、自分がやらなくていい。

今井
最初はずっと柿内さんにくっついて、アシスタントをやってたんですよ。全然アシストできてなかったけど。1年半くらいただ飯食らいしながら、いっぱい勉強させてもらいましたね。
その後、初めて担当したのが牧村朝子さんの『百合のリアル』っていう本です。これは星海社の新人賞に応募されてきた企画で、当初は柿内さんの担当だったんですが、途中で柿内さんが転職されてしまったので、僕が担当することになりました。でも、実はこの企画には最初から惹かれてたんです。すぐにピンと来たというか、「すごくおもしろい!」って思いました。

 

6

▲『百合のリアル』をはじめ、担当する新書・コミックには斬新な企画が多い。

 

今井
僕は知らないことを知るのが好きで、人と違うことをやるのも好き。だから、「誰も作っていないものを作りたい」ってずっと思ってました。となると必然的に、僕の担当する書籍は、良くも悪くも類書がないものが多くなる。類書がないっていうのは、ポジティブに考えると市場を独占できるってことだけど、逆に考えると、誰もそこに「うまみがある」と思ってない、という可能性もあるんですね。
だから経験の浅い編集者っていうのは、まずはたいてい成熟している市場で本を作るらしいんです。例えば「話し方」とか「プレゼン」とか、鉄板系のノウハウ本から攻めていく。そうして徐々に編集者としての勘をつけていくってことかと思うんですけど。
でも、僕はまず『百合のリアル』から入りました。それからも、そういう類書のない書籍ばかり担当してますね。
土門
だけど……それはこれから実績を作る上で不安ではなかったですか? 会社員とは違って、フリーランスって実績がものを言いますし。
今井
こんなこと言うと偉そうなんですけど、類書の多い企画は「別に俺がやらなくてもいいか」って思うんです。「俺より適した人がいるだろうな」って。僕は僕しか作れないようなものが作りたいなと思ってて。
土門
ああ、なるほど。それこそ今井君が行きたかった場所なんでしょうね。自分にしか作れないものを作れる場所っていうか。「おもしろい」を証明できる可能性を持っている場所っていうか。
今井
そうですね。昔「おもんない」って言われ続けてたことにずっとこだわってましたけど、今は「おもしろい」って言われることが少しは増えてきたかな……。
ただそれは僕じゃなくて、僕の周りがおもしろくなっただけだと思うんです。おもしろい人に囲まれていると、その人もおもしろそうに見えるじゃないですか。周りにいる人のおもしろさについては、ちょっと自信があります。それこそ、こうして土門さんに声かけてもらえたのも、すごいうれしいし。
土門
今井君の今考える「おもしろい人」って、もう少し掘り下げるとどんな人ですか? これは、今井君が今後どんな編集者になりたいかということでもあると思うのですが。
今井
僕の言う「おもしろい人」っていうのは、「名刺が古くなっていない人」だと思います。ものづくりに携わる人が自己紹介をする時に、名刺代わりに話す仕事ってあるじゃないですか。僕もおかげさまで名刺になる仕事をいくつかやらせてもらえていて、人前で話す機会をもらえることもあったりするんですけど、調子に乗って話す自分を遠目に見て、「お前いつまでその話してんだよ」と思う自分がいるんです。
周りにいるかっこいい先輩や友だちは、名刺が全然古びないんですよね。だから動き続けなきゃいけないし、そういう人たちと一緒に走って行くためにも、もっともっとがんばらないとと思っています。

■今井雄紀の1冊

『エンタメの夜明け ディズニーランドが日本に来た!』馬場康夫 (講談社+α文庫)
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「今、一番難しいことをやる」と言って、東西冷戦時代にソ連から世界的バイオリニストを呼び、毎日新聞の社長に「球団を作らせてもらえないなら、リーグを作りましょうよ」と言ってパ・リーグを作った伝説のプロデューサー小谷正一と、その弟子でディズニーランド日本招致の立役者・堀貞一郎の伝記です。毎年元旦に読んで、指針にしています。(今井)

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これまでの連載

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