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スタンド30代

論語に「三十而立」とあるように、孔子は「30歳で独立する」と言いました。
とは言え、きっと最初はうまく歩けないし自信をなくすこともあるだろう30代。
転職、結婚、出産と、覚悟を決めることが多くていろいろ微妙な30代。
でもきっと、その人の思想や哲学が純粋に表に出るだろう30代。
『スタンド30代』とは、そんな今を頑張って生きる30代を、30代になったばかりの土門蘭がインタビューする、「30代がんばっていこうぜ!」という連載です。

書き手:土門蘭プロフィール

【今井雄紀さん】社会人としてちょっとあれでも、とにかく「おもしろい」仕事がしたい。

■話し手

今井雄紀さん 30歳

(株式会社星海社・編集者)

 

今井雄紀1

■プロフィール

今井雄紀

1986年2月6日滋賀県生。龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科卒。新卒でリクルートメディアコミュニケーションズ(以下、RMC)に入社し、営業、ディレクターとして活躍。2012年、RMCを退職し、フリー編集者として星海社に合流。以降、新書を中心とした編集者として活動中。主な担当書籍に、新書『百合のリアル』『キャバ嬢の社会学』『夢、死ね!』『声優魂』『アニメを仕事に!』『内定童貞』『大塚明夫の声優塾』『謝罪大国ニッポン』、マンガ『女の友情と筋肉』『アフター5の女王たち』、小説『エンドロール』などがある。直近では『アニメを3Dに!』を担当。
星海社のWebメディア『ジセダイ』の元編集長でもあり、新時代の持ち込み企画「会いに行ける元編集長」として、視聴者から企画相談を受け付けるニコニコ生放送を配信中。

 


 

今井君は「リア充エディター」と呼ばれている。 星海社での初めての編集会議で、Facebookの友達が700人いることを指摘されたことを機に、社内でそう呼ばれ始めたらしい(現在のFacebookフレンド数は1600人超)。

 

今井君と私は同級生だ。

大学生のときに知り合ったのだが、まともに話したのはこの取材まで一度もなかった。 大学時代に出会った今井君は、くるりと学生により開催されていた音楽フェス「みやこ音楽祭」の代表だった。目立つ存在で、いろんなところで彼の名前を聞いたし、共通の友人もたくさんいた。

大学卒業後、彼は上京し、リクルートの関連会社(RMC)でばりばり働き、営業としてもトップクラスの成績をたたき出していると聞いた。

さらに後年、そんな彼が突然書籍編集者になったということも聞いた。これまで出版経験がないのに? と驚いた。

 

よほど仕事ができる人なのだろう。

すべて又聞きだった私は、今井君に対してそう思っていた。 その頃「リア充」という言葉を見聞きしたことはなかったけれど、噂で聞いている限り、やはり彼は人生を積極的に謳歌している「リア充」に見えた。

 

私が彼に興味を持ち、インタビューしようと思った理由を正直に書く。

ある人が「今井はああ見えて仕事ができない」と言っていたからである。

 

仕事ができない。

なのに、彼はみやこ音楽祭の代表を務め、新卒で入った会社で(一時的にらしいけど)トップ営業マンになり、出版社勤務の経験もないのに編集者になり、数々の書籍企画を担当し、話題作を輩出している。

仕事ができないのにそういうことができるっていうのはどういうことなんだろう?

と興味がわいた。それが知りたくて、一時的に関西に帰ってきていた今井君をつかまえ、話を聞くことにした。

 

第一回目と同じく、こちらも取材日から相当時間が経ってしまった。

「仕事ができない」と言われた今井君は、この1年の間に新書『大塚明夫の声優塾』『謝罪大国ニッポン』初めての担当小説『エンドロール』など精力的に新刊を出し続けていて、やっぱり「仕事ができる人」に見えている。

 


 

露出の多い「リア充」エディター・今井雄紀。

▲今井雄紀が担当した書籍の数々。

▲今井雄紀が担当した書籍の数々。

 

土門
今井くんが編集者として仕事を始めてから、今年で4年目ですよね。今何冊くらい出してるんですか?
今井
担当した書籍は何冊かな……25,6冊くらいかと思います。
土門
担当された本、いろいろ読ませていただきました。
この『夢、死ね!』も読みましたが、タイトルのインパクトとは裏腹に、まっとうなことが地に足をついた形で丁寧に書かれてある本ですね。この著者の中川淳一郎さんとは全裸対談されてますよね。あれすごくおもしろかったです。
今井
ありがとうございます。全裸対談の元ネタは、僕を出版業界に入れてくれた編集者の柿内さんと中川さんが、『ウェブはバカと暇人のもの』刊行時にTV Bros.誌上でやはり全裸で行った「赤裸々対談」なんですけど。この全裸対談はかなり反響ありました。妹からは「キモすぎ」って言われましたけど。
 
※ 柿内さん…柿内芳文。編集者。これまでに担当した書籍は『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『99.9%は仮説』『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『ゼロ』『嫌われる勇気』など。光文社、星海社、フリーランスを経て、現在はコルクに在籍。出版界のヒットメーカー的存在。
土門
今井君は書籍編集だけじゃなくて、こういうWebを使ったプロモーションにも注力されてますよね。星海社のWebメディアである『ジセダイ』の編集長もしていたし、あとはニコニコ動画で生放送配信している「会いに行ける元編集長」でもあって、こちらでは、視聴者からSkypeなどを通じて企画の持ち込み募集を行っています。
出版業界の中でも、いろんな意味で露出の多い編集者なんじゃないかなと思います。
今井
そうですね。露出は多い方ですよね。
土門
「リア充エディター」というあだ名もつけられてますけど、「でも本当に今井くんってリア充なのかな?」と、私は疑問に思ってて。楽しそうなことをやっているし、目立つし、ばりばり仕事できる人って感じだけど、実際のところどんな人なのかなと。今日はそういうところを掘り下げていけたらいいなと思っています。
今井
結論から言うと全然リア充じゃないんですけどね……(笑)。はい、よろしくお願いします。

弱小野球部史上初、ベンチ入りできない3年生。

今井雄紀2

 

土門
今井くんって高校生のとき野球部だったんですね。野球はずっとやってたんですか?
今井
はい。小1から高3まで、12年間ずっと野球やってました。
土門
すごいですね。じゃあ夢はプロ野球選手だったとか。
今井
いや、それが僕、野球全然うまくなかったんですよ。高校野球部時代にいたっては、3年になってもベンチに入れなかったくらいで。しかもうちの高校の野球部って、滋賀県内でも常に1,2回戦敗退の、めちゃくちゃ弱いチームだったんです。
土門
あ……それでもベンチ入りできないほどの。
今井
そう、へたくそで。そんな弱小野球部30年の歴史上、初めてベンチに入れない3年生選手が誕生した。それが僕です(笑)。
土門
練習には真面目に出てたんですか?
今井
もちろん真面目にやってたし、人一倍練習はしたつもりです。でも、小1から高3まで一生懸命やってこれだから、「ああ、これが『ほんまに向いてない』ってことなんやな」って、12年かけて痛感しましたね。
土門
でもそんなに長く続けられたってことは、野球がすごく好きだったんですよね。ただ、思うように上達できなかっただけで。
今井
もちろん、すごく好きだったからっていうのはあります。でもいちばんは、単に「負けっぱなしで辞めるのが嫌だったから」なんですよね。いつかは勝ちたいと思ってた。結局勝てませんでしたけど。
土門
勉強方面ではどうでしたか?
今井
いや、こちらも全然だめで。昔、テレビ局を舞台とした『美女か野獣』っていうドラマに感化されて、感動をつくる側の仕事に興味を持つようになったんです。それで、「テレビの仕事をしよう」と思うようになって。 だから、大学では「メディア」とか「ジャーナリズム」とかがつく学科に入ろうって思ってたんです。本命は立命館大学の産業社学部。でも、いろんなパターンや日程で合計10回くらい受験したのに、見事に全部すべっちゃって。親に「浪人させてくれ」って頼みこんだんですが呑んでもらえず、泣く泣く違う大学に入りました。今でも母親に「あんたの受験料だけで、20万円以上ドブに捨てた」って言われます。
土門
今聞いてる限りでは、全然「リア充」じゃないですね……?
今井
はい、もう全然。野球も下手だし、オシャレでもイケメンでもないし、彼女もいなかったし。全然充実してなかったです。

高2のときに父親が植物状態に。

土門
大学では、社会学部のコミュニティマネジメント学科というのに入ってますね。
今井
はい。本命ではなかったけど、一応メディアを学べる学部に滑り込みました。
でも昔テレビ局で働いていたっていう先生の授業で、「テレビマンがいかに人間らしい暮しができないか」っていうのを延々と教えられて、「俺、人生捧げられるほどテレビ好きちゃうな」って思っちゃったんです。それで、テレビ局で働きたくてその学部に入ったのに、その夢はリセットされて。
土門
じゃあ、それから方向転換を?
今井
はい。学部に東田晋三先生っていうおもしろい先生がいたんで、とりあえず彼のゼミに入りました。この人はすごく喋りがうまくて、とにかく授業がおもしろかったんですよ。東田先生は、元々ベネッセでキャリア開発部の部長を務めていた方で、キャリアプランニングの専門家なんです。
この先生の口癖が、「Not 4 years, but 40 years.」。大学4年間のためだけじゃなくて、卒業後の40年間のために今学ぶんだ、って言ってたんです。「大学が就活予備校みたいになっている」という批判はもちろんあるけど、東田先生は「仕事を楽しめる素養を4年で培うことができれば、向こう40年楽しく過ごせるでしょ」っていう考え方をしっかり持っていた。
彼からはすごく影響を受けてますね。ゼミでは企画の作り方や組織の動かし方を、経営学的な角度から学びました。
土門
キャリアプランニング。それじゃあ、就職活動にも前向きに取り組めたのでは。
今井
そうですね。でも別に東田先生に出会ったから就活に前向きだったわけではなくて、僕はもともと普通の学生より就活に有利だったんですよね。
土門
それはどういう意味で?
今井
普通は、就活が始まったときに「将来どうしよう」って考え始めるもんだと思うんですよ。大体みんな、そのときから「働く」って何なのか、自分は何をして食っていきたいのかを考え始める。
でも僕、高2の時に父親がくも膜下出血で倒れちゃったんです。それ以来今まで、13年くらいかな、ずっと目を覚ましてないんですよね。いわゆる植物状態で。
土門
そうなんですか。全然知らなかった。
今井
そういうわけで、父が倒れたあとずっと母親に、「状況が状況やし、適当に大学行かせるわけにはいかへん。ちゃんとその先を見据えて大学に行きなさい」って言われ続けていました。そのときから、「自分がどうやって生きていくか」考え始めるようになったんです。
「ちゃんと稼げる仕事って何かな」とか、「俺がこの人と同じ仕事したらどうなるかな」とか、「多分、この辺の人は俺を買ってくれるやろう」っていう仮説を立てたりなんかも、学生の内から結構やってました。だから就職のことはずっと考えていたし、就活のスタートを切るのも他の人より早かったと思います。
土門
お父さんが倒れてから、自分の中で変化はありました?
今井
精神的にしたたかになったと思います。同世代に比べて、良くない意味で落ち着いているのはそのせいかも。野球からも「どんなに好きでも、向いてないことはしたらあかん」って身に沁みるほど学びましたしね。だからどんなに好きでも自分に向いていない、稼げない仕事だけはしないでおこうって思ってました。

「あいつは実力じゃなくてキャラだけでやってる」

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土門
それで、就活時代はどんな仕事がしたいと思ってたんですか?
今井
基準はふたつあって、ひとつは「企画する仕事」でした。モノじゃなくて、アイデアを売る仕事。もうひとつは「一緒に働く人がおもしろい仕事」。大学時代にみやこ音楽祭という音楽イベントをやっていて、おもしろくて優秀な人っていうのをたくさん見たから、そういう人と仕事ができたらいいなと思って。
いろいろ受けましたね。Googleや、カルチュア・コンビニエンス・クラブや、小学館や、ドリコムや。最終的にはリクルートのグループ会社のリクルートメディアコミュニケーションズ(RMC)っていう会社から内定をいただいて、そこに決めました。企画の仕事ができること、同期がみんな優秀でおもしろそうってこと、ふたつの基準をばっちり満たしていたので。
土門
RMCではどんなことをしていたんですか?
今井
僕はクリエイティブ採用(コピーライターとかディレクターとか)の枠で入ったんですけど、最初の半年間はリクナビの営業をやっていました。リクルート本体の営業部と同じ目標を持って、毎日営業に明け暮れてましたね。
その最初の半年間が、僕のリクルート人生の中で最も輝いていた時期(笑)。売上がめちゃくちゃ良かったんです。
土門
営業、得意だったんですね。
今井
まあでも、そのときは運が良かっただけで。営業先が中小企業だったんですけど、僕自身、子どもの頃から職人のおじさんたちに囲まれて育ったから……こういう言い方をしたらいやらしいですけど、職人気質の方からのかわいがられ方が何となくわかるというか。多分、大手企業を担当していたら結果は全然違ったと思います。次の半年間は、転職サイトのディレクター兼ライターをやってました。
本配属となる2年目で、新規事業部に配属されました。もともと新しくサービスや企画を考えるのがすごく好きだから、そこに配属されたときは嬉しかったですね。それから3年間、その部署に所属していました。
土門
そこでは具体的にどんなことをしていたんですか?
今井
新規事業部では具体的に「これをしなさい」って指示に沿って動くんではなくて、媒体に関係なく「とにかくWebを利用して課題を解決せよ」って感じでしたね。
いろんなことしましたよ。企業のFacebookやTwitterの中の人をやったり、効果的なWeb広告を考えたり。周りにはアプリを作ってる人もいました。そういう、社内ではWebの最先端のことをやっている部署だったんです。特にその頃は、「もう、儲からなくてもいいからとにかくアイデア出してやってみろ」っていう風潮だったので、本当に楽しかった。
土門
じゃあ、そこでも活躍してた?
今井
いや、それは……そんなことなくて(笑)。
あの、ここからは僕の人間性の話になるんですけど、僕ってこつこつやっている人から見たら、一番嫌いなタイプだと思うんですよ。
僕は会議でちょっとおもしろいアイデアを言ったりして、何となく目立つことが多いタイプなんです。でも、それ以外が本当にだめ。良いアイデア出るまで〆切ぶっちぎってしまうし、計画立ててこつこつ実現まで持っていくってことが苦手なんです。
それでいっぱい迷惑をかけてしまうのに、こつこつ真面目にやってる人よりもぽっと目立っちゃう。「あいつは実力じゃなくてキャラだけでやってる」って、いろんな人から思われてると思います。
土門
実は、今回今井君に聞きたいなって思ったのはそこなんです。この前、ある人が「今井は仕事ができない」って言ってたのを聞いて……あ、これは悪口じゃなくて。いや、悪口かな(笑)。
ただ、それを聞いたとき、「仕事ができないのに、こんなに仕事ができるように見えるのはどういうことなんだろう」ということに、私は逆にすごく興味を持ったんですよね。
今井
なるほど(笑)。
土門
だから、実際今井君自身は、自分のことをどう思ってるんだろうな?っていうのを聞きたかったんです。
今井
「仕事ができない」っていうのは本当だと思います。アイデアがちょっと出せるくらいで、しかもそのアイデアも別にすごいもんじゃないのに、それに甘えてしまってるし。悪いとこだと思いますね。
あと、怒られたら謝ればいいと思っているふしもあって……ほんと、反省してます。人生。
土門
メンタルが強いですよね……いや、もしかして、今井君は人と大事にしてるところが違うってだけなのかもしれないですね。ふと今思ったんですけど、今井君は仕事をする上で、「アイデアを出すこと」を一番優先しているんじゃないでしょうか。だからそれ以外がたまにおろそかになる、とか。
今井
ああ、そうですね。僕、さっき「会議でちょっとおもしろいアイデアを出すタイプ」って言いましたけど、中学から大学までは周りに「おもんない」って言われ続けてたんですよ。多分その鬱屈が今の僕を作ってると思います。
土門
あ、そうなんですか。ちょっと意外。
関西の子って「おもしろい」か「おもしろくないか」にシビアですもんね。
今井
そう。そんな環境の中で、ずっと「今井はおもんない」って言われ続けてました。
でも僕は、「周りの奴らのほうがおもんない」って思ってたんですよね。「お前らがおもろいおもろい言ってるのって、俺からしたら全然おもんないで。俺の方がおもろいのいっぱい知ってんで」って。まあそれを、相手に理解できるように表現できなかった時点で全然おもんない奴なんですけど(笑)。
関西人にとって「おもろい」っていうのは、「Funny」もあれば「Interesting」もあると思うんだけど、そのどちらでもいいから自分が「おもろい」ってことを証明したいとずっと思ってたんです。
だから、「誰もできない仕事」「この人にしかできない仕事」というのにすごく憧れていて、そういう職業人になりたいなと思ってました。アイデアとか「おもしろい」ってことにすごく固執してるのは、それがあるからだと思います。

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これまでの連載

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