音読

一日一曲 日々の気分で一曲をチョイス。 書くこと無くても音楽がどうにかしてくれる! そんな他力本願なブログです。

書き手:プロフィール

第33週 Playing God / Lang Lee

このあいだ、高校時代の友人からはがきが届きました。

九州で動物病院を開くことになったよし、それに伴い、自宅を移したとのこと。

はがきの左下には手書きの文字で「よかとこです」と書かれてありました。

15年前と全然変わらない文字でした。

 

自分が誰かの人生に介入するだなんて恐ろしいことだと思うけれど、我慢できずにそれをしたことがあります。

心あたりはふたりいて、そのひとりが彼女です。

 

彼女は高校入学時、私のひとつ前の席に座っていて、高校で初めて話した人でした。

非常に賢い子であろうことは話してすぐわかりましたが、どうも変な人だな、と思いました。

彼女はそのころから動物がとても好きだと言っていたのですが、私を動物か何かだと思っているような、いつもおもしろがって観察されているような、何をしてもにこにこして眺められているような、そんな感じでした。

でもその気分は悪くなく、彼女は獣医とか調教師になったらいいだろうなと(動物目線で)思っていました。

 

彼女は何かで私の文章を読んで、「蘭ちゃんの文章はおもしろい、小説を書いてみたら」と言いました。

私に初めて「作品」をつくらせ、読んでくれたのは彼女でした。

その作品を読んで、彼女はすぐに手紙をくれました。

その頃私がよく読んでいたふたりの作家の名前を的確にあげ、「これらの作家の影響が色濃く出ている」と評し(あと何だかいろいろこきおろされた覚えがあります)、それでも「とても心を動かされた」と書いてくれました。そして「また書いてほしい」と。そういう経験は初めてで、とてもどきどきしました。

 

彼女は親御さんから故郷を離れることを禁じられていて、地元の国立大学を受けるよう言われていたようです。

本当は彼女は獣医になりたいと言っていたのですが、地元には獣医学を学べるところがなく、獣医になるためには難関の、しかも北海道の大学を受けるのが一番良いということでした。

それで彼女は「諦める」と言いました。「獣医になるのは無理だと思う」と。

私は「あなたは獣医になるために生まれてきた人だと思うから、獣医学を学ぶべき」と言い、「それが社会のためになる」とか「私がかわりに親御さんを説得する」とまで言いました。

彼女は「頑張ってみる」と言いました。

彼女は賢い子だったので、私が出るまでもなくきちんと親を説得し、それから第一志望の大学に現役で合格して北海道へ行きました。

そして先日、九州で動物病院を開くのだと、私にはがきをくれました。

 

もうひとりは短歌をつくる女性です。

大学で出会った女の子は、すばらしい短歌をつくる子でした。

彼女はそのころ短歌をつくることをやめようとしていましたが、わたしは彼女に短歌をつくり続けてくれと頼みました。動物好きの同級生が私にしてくれたみたいに、私は歌人の同級生に手紙を書きました。

「とても心を動かされた」「またつくってほしい」「どんなにだめな作品でもいいからお願いします」という内容で、最後らへんはもはや懇願でした。

おととし彼女から手紙が来て、短歌の賞をとったと、受賞した作品のコピーを送ってくれました。

私は授賞式に行きました。ただ拍手をするためだけに新幹線に乗るのは初めてでした。

 

ふたりに出会ったのは十代。

まだ若くて「才能」というものがどういうものなのかわからなかったけれど、この人の中のこの火は消してはいけないと、反射的に思ったのを覚えています。それで、いい迷惑かもしれないと思ったけど、介入しました。彼女たちは覚えていないかもしれないし、それがどこまで彼女の人生に影響を与えたのかはわかりませんが、自分では思い切り介入したつもりです。

私はよくふたりのことを思い出し、ふたりの中の火と、そしてそれを守りまきをくべ続けた努力を想像します。

そのたび、「自慢の友人」という言葉が浮かびます。

 

 

イ・ランというアーティストが韓国大衆音楽賞をとり、そのトロフィーをオークションにかけたというニュースを、先日インターネットの記事を読んで知りました。

受賞したのはいいが賞金が出ない。音源での収入は少なく、このままでは「飢え死にするかもしれない」。

それで、彼女は家賃の50万ウォン(ざっくり5万円)からオークションを開始したのでした。

 

記事には彼女のTweetが引用されていました。

「雑誌のインタビューや撮影も一見かっこよく見えるが、ギャラがない。交通費もない。みなさんはそのことを知らない。これは本当に問題である。私は雑誌にすげーよく撮れた写真だけ残して飢え死にするかもしれない」

 

「시발(シーバル:ファックとかそういう意味です)」

とつぶやく彼女に惹かれ、彼女の曲をすぐにYouTubeで聴きました。

私は彼女のつくる音楽を一気に好きになりました。

名前が同じなのも年が同じなのも運命だと思ったし、その翌日近所の書店に入ったら彼女のエッセイ付CDが売られていたのも運命だと思いました。

 

彼女のエッセイはとてもよくて、私は彼女の文章もとても好きになりました。

彼女はとてもよく泣き、怒り、笑います。

友人を愛し、友人が死んでいなくなることを心から恐れています。

 

「私が本当に素敵だと思う人が、やりたいことを全部やれずに死んでいったり、あるいは年老いてやりたいことができなくなったりする」ことが「すごく嫌だ」と言います。

そして、「私は死への恐れを和らげる方法を開発中である」と。

総じて彼女は勉強家で研究熱心です。彼女は世界を観察しているstrangerだと思いました。

 

 

エッセイの中に、イ・ランの友人が、イ・ランに向けて贈った詩が引用されています。

 

君が僕に善なる人だと言ったとき、

僕は別のものになりたかった。

例えば

君を自慢に思う人。

僕によって、

君は誰かの自慢になり

ある日君がまた悲しみに泣くとき、君が記憶しているように

君が僕の自慢だということを

記憶力のいい君が記憶してくれるように、

願いながら僕はうろうろしたよね

 

 

この詩を書いた人もまた、イ・ランの火を消さないようにと心を砕いたのだろうと思いました。

そして、私もまた彼女たちのまわりを「うろうろした」人であったな、と。

これからもうろうろしたいと思うし、私のまわりをうろうろしてくれている人をきちんと記憶したいと思いました。

また、年をとった私は「飢え死に」をさせない人になりたい、とも思いました。

 

残念ながら肉体はいつか消えてしまうけど、つくり続けてさえいれば、肉体のなかの火はずっと継がれるのだろうと思います。

死への恐れを和らげるために、人は何かをつくるのかもしれないな、と思いました。

 

 

この曲の邦題は『神様ごっこ』といいます。

 

 

text:土門蘭

 

 

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