音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

愛すべき役立たず

IMG_4155

きのうは大晦日で、廉太郎は前々から楽しみにしていたガキ使を最後まで観るんだと意気込んでいて、すぐ眠たくなるわたしと朔太郎はお風呂に入るとすぐ、いつも通り寝室に上がった。

わたしたちはいつも、眠る前に本を読む。わたしはすぐ自分の本に集中してしまうのだけど、朔太郎は気にせず一度に3冊ほど持ってきて、ベッドの上にどさっと置く。それからよいしょと上がって、「うんうん」とわたしにふとんをめくるように言う。めくってやると中にもぐりこんで、わたしの腕をまくらに寝そべりながら、仮面ライダーの本だとか車の図鑑だとかを開くのだった。

 

朔太郎はこの何週間かで急に話せる言葉が増えた。

そのうちのひとつが「ママ」で、急にわたしのことを「ママ」と呼ぶようになった。きのうも「ママー。ないないばー、みてー」と言って、絵本の『いないいないばあ』をわたしの顔にぐいぐい押し付けてきた。「うん、ママだよ」嬉しいのでそう答える。それでわたしが絵本を開くと、腕の中にもぐりこんで、開かれた絵本を眺めた。

 

読み聞かせをしてほしいのかと思ったが、朔太郎はわたしの読みを聞こうとしない。ただひとつの本を一緒に見たいだけで、自分でページをめくっては「にゃーにゃ」「ないないー、ばあ!」と言って、わたしがちゃんと聞いているか確認するようにこちらを見て、見ているとわかるとおもしろそうに笑う。

 

それがとても可愛くて、わたしは「ほんとうにかわいいねえ」と言って朔太郎の丸々としたほっぺたに口付ける。

廉太郎の前でそれをやるとやきもちを妬くので、ふたりのときにしかしない。それを朔太郎は良いとも悪いとも思っていないようで、嬉しそうにしたり迷惑そうにしたり、嫌がったり笑ったりしながら、わたしの愛情表現をただ一身に受ける。

『いないいないばあ』を閉じると朔太郎はまた車の本を読み始めた。「ぶぶーちゃん、ぶぶーちゃん」とぶつぶつ言いながら、ひとつひとつの車を指さしていく。

わたしも、自分が読んでいた本に戻ってまたひとり字を追った。

 

 

ブイヨンは、11歳と半年生きてきて、いま、「狩猟犬」であることを辞めたのだと思った。

疲れも感じさせずボールを追いかけ、大きな口にくわえて得意満面で戻ってくることは、おそらく、彼女の身体のなかに隠されている「狩り」をするための血のせいだったのだ。そんな機能を、ぼくらは欲しかったわけではないから、ブイヨンがボールをとってくることは、ぼくらのためではなく、彼女の大事な遊びだったはずだ。

「狩猟犬」であることを辞めたブイヨンは、これで、晴れて、愛すべき役立たずになってくれた。

もともと、なんにもできなくても大好きだったんだよ。そういうことを、知っているのか、知らずにいるのか、ひとりっこで育ったこどものように、いままで以上にのびのびとうろうろしている。ぼくも、いつか「狩猟犬」をやめるのだろうなと思った。

糸井重里『みっつめのボールのようなことば。』より

 

 

朔太郎を胸に抱いたままその文章を読んでいたら、不意に涙が出た。

ブイヨンというのは糸井さんが飼っていた犬だ。年老いて、ボールももう追いかけなくなって、くわえることすらしなくなって、3月に死んでしまった。

会ったこともないその犬の「ひとりっこで育ったこどものように、いままで以上にのびのびとうろうろしている」姿を、わたしは誰に重ねたんだろう。

 

ぐすぐすと泣いているわたしに気づいた朔太郎が、振り返って小さなてのひらでわたしの濡れた頬をこする。その涙が良いとも悪いとも思っていない顔で、なんと言っているのかよくわからない言葉を発しながら。

 

もともと、なんにもできなくても大好きだったんだよ。

 

確かにそうだし、確かにそうだったなと思う。わたしがなんにもできない朔太郎を大好きなように、なんにもできなかった廉太郎のことも大好きだったし、なんにもできなかったわたし自身も父や母に愛されていた。

 

 

おととい、父が京都に来た。

孫におもちゃや靴を買ってくれ、スーパーでたくさんの惣菜も買ってくれ、それらをつまみに缶ビールを一本飲んだらすぐ寝てしまって、翌日の朝には広島へ帰っていった。

見送るというと、「送らんでええ」と言った。

「見送られると、さみしゅうなるじゃろう」

だけど廉太郎と朔太郎が行くと言って聞かず、まあまあとわたしに説得され、しぶしぶ父は見送られることになった。

帰り道、父と並んで歩いていたら、

「お前、がんばっとるんか」

と突然聞かれた。

「がんばっとるよ」

そう答えると、

「辛くなったら、いつでも帰ってこい」

と言った。

「狭いけど、家はあるんじゃけえ」

 

 

わたしもいつか「狩猟犬」を辞めるのかなと思う。

いまだってボールをよくこぼす出来の悪い狩猟犬だけど、ボールを追うのが楽しくてしかたない。だけどいつかボールを追うことすら、投げてくれとくわえることすら、しなくなるんだろうか。

 

そのときには朔太郎みたいに、ただただ良いとも悪いとも言わず、季節が変わるのを、人が変わるのを、ぼうっと眺めていられたらいい。

またいつか、愛すべき役立たずに戻れたらいい。

多分その記憶に人は支えられていて、いつかそこに戻っていこうとしているんだろう。

 

 

あけましておめでとう。今年もよろしくね。

2019年6月のアーカイブ

これまでの連載