音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

「好き」の共有という愛情表現

IMG_4394

朔太郎がインフルエンザにかかってしまい、この四日間保育園を休んでいる。
熱が39度以上出たけれど、翌日には微熱まで下がって、今は鼻水が出ているほかは元気。
ずっと家にいたので体力が有り余っているらしく、以前よりも太ったくらいだ。

 

看病をしながら家で仕事をしていたのだが、朔太郎はそのあいだずっと『となりのトトロ』を観ていた。
朔太郎はトトロが大好きで、いつもトトロのぬいぐるみをそばに置いている。
録画していた金曜ロードショーのトトロが終わるとわたしのそばにやってきて「ととろー」と言う。
「これで5回目だよ」
とかなんとか言いながら、でも観ているあいだはおとなしくて助かるので、わたしはもう一度再生ボタンを押す。

 

仕事中、ちょっと休憩しようと一度だけ、わたしもソファに座って朔太郎とトトロを観た。

いつもはトトロに目もくれず仕事をしているわたしが、隣に座って一緒にトトロを観始めたことがうれしいらしく、ソファに立ち上がった朔太郎がわたしの肩に寄りかかって「ととろ」「ととろ」と指を指して言う。ときどきわたしがちゃんと観ているか、顔を覗き込んで確認しながら。

 

「さーつきちゃーん」
サツキの友達のみっちゃんが、登校のときにサツキを呼ぶシーンになり、
「はーあーいー」
と、わたしもサツキと一緒に返事をしてやった。
すると朔太郎はとっても喜んで、「きゃー!」と言ってわたしの頭に抱きついてきた。

 

 

 

このあいだテレビをつけていたら、そこに「絵本を自宅に1500冊所有している主婦」という方が出演されていた。
彼女は絵本の読み聞かせの教室をされているということだったが、まず最初にきっぱりと、
「絵本はしつけにはきかない」
と言っていた。
「絵本に教育を求めてはいけない。絵本はただ楽しむもの」だと。
てっきり「絵本は子供の情操教育にいい」とか「絵本は子供の言語能力を高める」とか、そういうお話をされるのだと思い込んでいたので、この前提にちょっと驚いて、わたしは家事の手を止めてじっとテレビを観た。

 

彼女はこんなことも言っていた。
「洗濯とか食事の準備とか、そういったことにこどもは親の愛情を感じません。
なぜなら家事って必要なこと、当たり前なことだから。
だけど読み聞かせからは、こどもは親の愛情を感じるんです」

 

読み聞かせからは、愛情を感じる。
こどものこぼしたご飯粒を拾いながら、お風呂上がりでまだ裸のままの廉太郎を叱りながら、テレビを消したあとも、なんだかその一言がずっと頭に残っていた。

 

 

影響を受けやすいわたしはその夜、
「絵本を読んであげようか」
とこどもたちに言ってみた。
普段は読み聞かせなどしないで、自分の読みたい本ばかり読んでいる母親なので、こどもたちはちょっと驚いた顔をした。
「やったー!」と廉太郎が言うより早く、朔太郎は無言で本棚を探り出し「こで、こで」と『ピッキーとポッキー』をわたしに渡そうとする。
それで両脇にこどもを寝そべらせ、真ん中で絵本を開いて、ふたりが見えるようにして読んでやった。
朔太郎はすべて読み切る前にとにかくページをめくりたがる。そのたび廉太郎は「さくたろう、まだやで」と文句を言う。
ふたりともとても嬉しそうだった。
その顔を見ながら、「そうか、読み聞かせって嬉しいんだ」と思った。そしてふと、幼い頃のことを思い出した。

 

父と電車に乗っていたときのことだ。駅の売店で買ってもらった『赤ずきんチャチャ』という漫画を読んでいたわたしは、その漫画がとてもおもしろかったので、読み終えたときに「お父さんにも読んでほしい」と思った。きっとお父さんも気にいるはずだから、と。
だから「お父さん、一緒にこれ読もう、すごくおもしろいよ」と言った。
すると父は即座に「そんなもん読めるか」と言ったのだ。スポーツ新聞をばさっとやりながら、まるで怒るように。

今考えれば不思議でもなんでもない。
スポーツ新聞を愛読している40過ぎの父にとっては、娘の読む少女漫画は「自分の読むべきもの」ではなかった。

だけどわたしはそのときとてもショックを受けたのだった。あの瞬間の気持ちを今でも覚えている。
たぶん自分の好きなものを無視、あるいは否定されたような気持ちだったんだと思う。
買ってくれた喜びは、一緒に見てくれなかった悲しみに、簡単に塗りつぶされてしまった。
父にとっては、ずいぶん心外なことだろうけれど。

 

 

 

そのことを思い出していたら、両脇で絵本を覗き込んでいるこどもらの気持ちが、少しわかったような気がした。
『ピッキーとポッキー』は、安西水丸展に廉太郎と一緒に行ったとき、廉太郎が欲しいと言って買ったものである。
不思議なことに朔太郎もその絵本が大好きで、よくひとりでめくっている。

 

そんな彼らの大好きな絵本に、「読み聞かせ」という形でわたしも向き合う。
多分、そのことが嬉しいのだ。

 

「好き」という感情は、非常に個人的な領域にある。
自分の好きなものを一緒に楽しんでもらえる、興味を持ってもらえるというのは、
まるで「自分」そのもの、それも「自分」の深いところに向き合ってもらっているみたいで、
だからきっと「読み聞かせ」は嬉しいのだと思う。
「ねえ、この本読んで」は、「わたしの好きなものをあなたも見て」ということと、同じような気がする。

 

 

 

「夢だけど! 夢じゃなかった!」

サツキとメイがぴょんぴょん飛び跳ねるのに合わせて、わたしも言ってみる。
すると、朔太郎は「きゃー!」と叫んでわたしを抱きしめる。自分の大好きな作品を一緒に楽しんでくれて嬉しい、というように。

 

自分の好きなものを一緒に楽しんでもらえると、まるで自分が好きだと言われているようで嬉しい。

これもひとつの愛情表現なんだろう、きっと。

2019年4月のアーカイブ

これまでの連載