音読

一日一曲 日々の気分で一曲をチョイス。 書くこと無くても音楽がどうにかしてくれる! そんな他力本願なブログです。

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第3週 ゴールドベルク変奏曲 / Glenn Gould

音読スタッフが「どうしようもなく好きな曲について語る」ブログ・一週一曲。第3週目は音読”オコサー(注1)”船田かおりがお送りいたします。どうぞよろしくお願いします。

(注1:テープ起こし専業。ライターでもエディターでもなくオコサー。誰かの言葉を切り取るよりも、あるがままを記録しきることが楽しいので、無理やり役職を作って置いていただいております。オコすネタ募集中。)

 

私は両親が北海道にいる時に生まれ、3歳の頃京都に引っ越し、つい最近まで京都に住み続けていました。小さな頃から中学生くらいまで不真面目にピアノを習っており、バンドをやっていたこともありました。家がプロテスタントの教会だったため、母親のお腹の中にいるときから賛美歌が身近な存在でした。現在も、家にテレビがなくて常にだらっと音楽を聴き続けているマイペースな音楽好きです。

 

今回ご紹介させていただくのは、大学の恩師に勧められて聴き始めた、奇妙なピアニストによるバッハの曲の演奏です。

演奏者は違うものの、アニメ版『時をかける少女』のサウンドトラックにもなっているのでご存知の方も多いかもしれません。

 

グレングールドは、23歳の時にこの曲の演奏でデビューし一斉を風靡しました。そして、晩年に同じ曲を再録音しています。詳細な解説は調べればたくさん出てくるのですが、この2つの録音は全く違った様子をしています。

私がまず恩師に渡されたのは早くに録音された方で、早弾きといって過言ではないスピードで華麗に走り抜ける演奏です。クラシックなんて殆ど聴かないのですが、音が転がっていくのが楽しくて「バッハって気持ちいいんやな」と気付き、何度も繰り返して聴きました。

そして、空で歌えるほど聞き込んだ頃に渡されたのが今回動画で上げている晩年の演奏です。目が覚める程、遅い。聴き比べて初めて分かるその遅さ。その一音一音が痛いほど迫ってきて、アリアから第一変奏に入るところで感極まって涙したほどです。(っていうのも大分痛々しいですが、事実。)

 

「どうしようもなく好きな曲」というのは、難しいです。このお題を与えられてから考え続けたのですが、私にとって好きかどうかはその時の気分に左右されるので、いつもいつでも好きな曲は多くありません。迷いぬいたのですが、いつもいつでも好きで、どんな場面でもフィットして「これまでに一番聞いた曲」は多分この曲だと思います。

 

私は気持ちが絡まった時など、青汁感覚でこれを流しっぱなしにして昼寝するのが好きです。寝そべって動かない自分の上で、調律してもらうかのようにただただ音楽を流しっぱなしにして眠る。

無心になり、ピアノを弾きながら歌う気持ち悪いグールドの声を遠くで感じながら…もはやアンセムである第30変奏のquodlibetに辿り着けば、全身に無駄なくらいの「ついにここまで来た感」「やってやった感」「これでよかった感」がみなぎってくる。アリアから始まり、たくさんの情景(変奏)を経てまたアリアに帰るところが人生って感じがする。

 

自分の現実の代わりに人生的な何かをやりきった気持ちになるのって、のめり込んで映画を観たり本を読むのと似ていて要は現実逃避なのです。それでも定期的に物語に没頭するのは「いつか死ぬ」ってのと「今は生きている」っていうのを忘れずにイメージして肯定するためなのかもしれません。

 

病気になるのが怖くて年中厚着でミネラルウォーターとビタミン剤が手放せなかったグールド。父親に作ってもらった特注の低すぎる椅子で生涯ピアノの前に座っていたグールド。友達いなかったろうな。怖いことや執着するものは人それぞれだけど、奇抜であればあるほどなんでだか惹かれてしまう。めちゃくちゃ滑稽でこっちまで切なくなるくらい、とにかく、この人はこの曲が最高に好きだったんだと思う。

 

旅行中に山口のブックオフで見つけた写真集で、ジャケットほっぽって膝組んで靴脱いでピアノ弾いているグールドみてたら、海みてるみたいに果てしない静かな気持ちなります。あれ、若い時この人イケメンだったのかって…。話が脱線しましたが、前回のオカファーに引き続き、私はこの曲のみならず、この人のことをとても格好いいと考えているようです。

 

なかなか取っ付きにくいかもしれませんが、少しでもこの人やこの曲に興味を持たれた方は、若かりし頃の(イケメンの)グールドから始めて是非聴き比べていただけたらと思います。長いし、耳慣れるまで退屈でしょうから、昼寝でもしながら。

 

text:船田かおり

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