音読

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第5週 時の流れに身をまかせ / テレサ・テン

 

童謡以外で初めて覚えた曲って何だったか覚えていますか?

多分家族の影響を受けることが多いと思うのですが、私が初めて覚えた歌謡曲は、母親がよく聴いていたテレサ・テンの曲でした。

母が赤いカセットデッキでテレサ・テンのカセットを回しながら、窓を開け放して洗濯物を干しているのを見ていた記憶があります。

特にこの曲は、子供ながらに「いい曲だなあ」と思っていてそのころから大好きでした。

 

 

私の母は韓国人です。

30歳のときに初めて日本にやってきました。

その後すぐ、広島で父親と出会い結婚、35歳で私を出産。

夜の繁華街でホステスをしながら私を育て、お金を貯め、43歳で自分のスナックを開きました。

カウンターのみの小さいお店で、何度か移転をしましたが、今も広島県の呉市というところにそのスナックはあり、66歳になった母が毎日そこに立っています。

 

母の店にはカラオケがあるのですが、お客さんに歌うようにすすめられるとこの曲を歌います。母が歌う唯一の日本語の歌謡曲です。

テレサ・テンという台湾から日本にやってきた歌姫に、自分を重ね合わせていたのかもしれないです。わからないけど。

 

それにしても、テレサ・テンのこの儚さは何なんだろうなあ、と思います。

美人で、語学堪能で、幼い頃から歌の才能を発揮して、(少なく見ても)累計一億枚以上の販売枚数を記録し、彼女の父母の祖国である中国社会にも大きな影響を及ぼしたテレサ・テン。

 

そんなすごい人なのに、何でこんな儚いのか。

日本人には決して出せない類の儚さ。だからと言って、異国から来たから、というだけではない何かを感じます。

私はその「何か」が、この曲にあるような気がします。するんですよ。

 

 

母のスナックには、アルバイトして働く若い女性がたまに現れました。

彼女たちは何かのつてで母と繋がったらしい同じく韓国から来た女性で、店で働いている期間うちに泊まったり、どこかの家に居候したりしていました。

でもみんな、半年以内でいなくなりました。韓国に帰ったり、男の人と暮らしたり、広島から出ていったり、いきなりいなくなったり。

 

20代から30代あたりだった彼女たちに、

「なんで日本に来たの?」

と聞くと、彼女たちはみな一様に、「わからない」と答えました。

「これからどうするの?」

という質問にも「わからない」と言う。

「わからないわからない」と言いながら、彼女たちはいつの間にかまたどこかへ消えてしまいます。

母の店で働く女の子たちは、一貫してそんな「流される」女でした。

母の店で、流されていない女の人を見たことがないです。

 

 

思えばうちの母もそうでした。

「そもそもお母さんは何で日本に来ようと思ったの?」と聞いたら

やはり母も「わからない」と言う。

きっかけは、日本に住んでいた知り合いに「あなたも来る?」と言われたからだそうです。

「なんとなく行ってみようかなと思った」と。

日本語もまったく話せない状態で、よく来る気になったもんだと思います。

「何となく来て、日本で20年以上自分の店を持ってるんだから、たいしたもんだ」と言うと、「えらそうに」と言われました。

 

目的をもって異国を訪れるのではなく、まさに流れ着くように日本にやってきた彼女たち。

少ない荷物以外何も持たずに異国からやってきて、拙い日本語を話し、控えめに困ったように笑う彼女たちを、お客さんの誰かがすぐ好きになって、そしてまた彼女たちは流されて、どこかへ行ってしまいました。

彼女たちはいつの間にか現れて、いつの間にか消えていきます。

今、どこで何をしているんでしょうね。

 

「時の流れに身をまかせ

あなたの色に染められ

一度の人生それさえ捨てることもかまわない」

 

テレサ・テンと彼女たちが一緒だとは言わないけれど、男にしろ時代にしろ社会にしろ運命にしろ、何かに翻弄され流され続ける女性は、花のような儚い魅力を持っているなあと思います。

危うくて淋しげで幸薄そうなんだけど、でも彼女たちが幸せじゃないとは誰にも言えません。

 

目的に向かってひた走るだけが人生じゃない。

流されるのもひとつの幸せだ、とこの曲を聴くとよく思います。

そしたらちょっと気が楽になります。

 

 

text:土門蘭

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