音読

一日一曲 日々の気分で一曲をチョイス。 書くこと無くても音楽がどうにかしてくれる! そんな他力本願なブログです。

書き手:椎名あかねプロフィール

ウイルス性胃腸炎 ── te’ / 楽観の深奥で燻る魔は、万人が宿す普遍的無意識の『罪』の残滓。

 

 

更新が途絶えまくっている今月です。

新年一発目の月なのに、大丈夫なのだろうか。

すみません。

 

というのも今回は数日間、韓国へおりました。

私の母親は年に数回訪れるほど韓国が好きです。

韓流スターのファンだという訳ではないのだけれど、ハングルを勉強したりしていつも私にその知識を披露してくれます。

なので今回はたまたま同じ時期に休みを取ることが出来たので急遽行くことにしたのです。彼女の勉強の成果はどんなもんなのか、と。

しかし分かってはいたものの、韓国旅行って安いですね。

往復の飛行機とホテルが付いたプランなのに、新幹線で東京に行くよりも安いものがゴロゴロとあります。

時代はかわったんだなあ。

ちょっと気軽に週末海外、なんてものが本当に実現出来るんだからすごい。

 

滞在はソウル。

東京で言う渋谷とか原宿に該当するであろう明洞という地区付近にホテルを取りました。

特に何かが目的というのでは無かったので、買い物して辛いものをたくさん食べて来ました。確実にまた太った。

後は韓国に留学中の知り合いがいるので、1日は彼女に大衆料理屋さんに連れて行ってもらいました。

現地に知り合いがいないと絶対に行かないような地区に行き、これまた韓国語を話せないと絶対に入ることのないだろう店に。

本当にありがたい。

知り合いは、留学してまだ1年足らずだというのにもうペラペラと話していました。

「日本語と文法が同じだから簡単なんですよ〜」なんて言ってましたが、純粋に尊敬します。

母にも早くああなって欲しいものだ。

だけど母もそれなりに単語を読んで、それなりにぽつぽつと会話していました。

私はハングルに対する知識はほぼ0なので、単語を読めるというだけでも一緒に居て心強い。

そして海外旅行に行くと必ず思うのが、その現地の言葉を勉強してみたいなあということ。

読めたり話せたりしたなら絶対に楽しさが増すだろうなあ〜なんて思いながらも帰国したらその熱は冷めてるんですけどね。

 

しかし今回の旅行、最終日に大きな問題が発生しました。

朝の6時半ごろから、母親がしきりに下痢と嘔吐を繰り返すように。

10分に1回はしんどそうにお手洗いに足を運び、本当にしんどそうなうめき声をあげている。

帰国の為の集合時間は2時半、それまで東大門のあたりに足を運ぼうか〜なんて話していたのですが、それを断念して母親の様子を見ることに。

だけれど全く容態はよくならず、ツアコンの女性に近くの薬局を教えて貰うことに。

しかしこれまた間が悪く、世間は旧正月のために店がほとんどやっていないというではないですか。

しかたないから近くの病院の救急窓口までタクシーを飛ばす。

その間も手に持った袋に嘔吐を繰り返す母親・・・帰国出来るのかどうか、一抹の不安が。

 

病院にはたまたま日本語を話せるスタッフが居たために大助かり。

診察の結果、食中毒。

点滴を受けてホテルに戻るも、何故か容態はよくならないまま集合時間に。

延泊して帰国を送らせるかと聞いても、とりあえず帰国するというので強行帰国に踏み切りました。

だけれども空港でも嘔吐を繰り返し、歩けないため始終車いすでの移動でした。

フライトの直前は少し落ち着きを取り戻しましたが機内でまたぶり返して顔色も真っ青。本当に可哀想だった。

それでも時間は過ぎ、なんとか日本に到着。

関空でも車いすをスタンバイしていてくれたので助かりましたが、フライトで疲れ切ったのか、状態は最悪に。

検疫で検査した時には熱も38度近くあり、トランクを受け取った後で彼女に限界が。

その時時刻は19時前、空港の医療サービスも終了していたために休む場所も横になる場所もありませんでした。

母の側に居て下さっていたスタッフの方もこれは非常事態だと判断してくれたのでしょう、とうとう救急車を呼んでくださいました。

 

一方の私はもう泣きそう。

だけど私が焦ってもどうにもならないのでとりあえず冷静になるように頑張ってました。

とりあえず必要なものだけを出して、トランクは空港から自宅に郵送。

意識が朦朧としている母が救急車に乗せられる。

周りに人が集まってたのかとか全然覚えていないけど、「救急車に乗るのは初めてだなあ」なんて呑気なことを思ったのは覚えている。

それからなんだかんだして、ひたすら待合室で待っていました。

同行者って、割と邪魔者扱いを受けるということを学んだ。

血液検査の結果ウイルス性の胃腸炎だと診断(多分ノロだそう)され、またもや点滴を受ける母。もう安心や。

しかしあれです、日本語が通じることのありがたさを身に沁みて感じました。

韓国の病院で通訳を買って出てくれた方がいたものの、ちゃんと通じているのか分からないし、どんな薬を投与されているのかも自分の目で判断出来ないからやっぱり不安です。

言葉が分かるって偉大だわ。

 

それから病院を後にし、帰りの電車に乗る。

空港のホテルに泊まろうかという話も出ていたのですが、やっぱり自宅が一番落ち着くし、多少しんどくても我慢するから帰りたいとのこと。

少し食欲が出たのか、パンを少し齧っていたのを見て安心し、電車に揺られていました。

が、それもつかの間やっぱり嘔吐。

なんとか自宅に到着出来た時はどれだけ胸を撫で下ろしたか。

2人して床に倒れ込みました。

彼女は気分の悪さから、私は疲労から。

 

この出来事での不幸中の幸いは、私が何も発症しなかったということですかね。

これで私まで発症していたら、海外で共倒れ。想像しただけでも怖い。

今日1日休養して、大分体調も良くなった母。

お昼には美味しそうに久方ぶりの食事となるうどんを食べていました。

だけど空港での泣きそうな顔が目に焼き付いて困る。

ああ、もうあんな顔見たくない。

頼むから再発しないで。

 

明日からまた用があって2日間長野県に行きます。

本当は行くのを止めたかったのですが、「もう大丈夫だから行ってくれないとこっちが困る」という母の言葉に負けて出発することにしました。

何かあったらすぐに飛んで帰ろう。

それより、出かけてる間に私もノロを発症しませんように。

潜伏期間とかあるのかな・・・。

 

 

これまでの一曲