音読

たぶん週刊ランラン子育て帖

どもんらんってどんな人?

2012年の1月、音読編集部のもとに赤ん坊が生まれました。名前はれんたろう。「にゃあ」というなき声がチャームポイントの男の子。新米ママ土門、今日も子育てがんばります。

ソウルに行ってきた

蜀咏悄 3

ソウルは最高気温0度という予報だったけど、

京都のほうが全然寒い。

向こうは空っ風が吹いていて、それが冷たいと感じるくらい。

京都の底冷えはおそろしいと改めて思う。

 

今回はれんたろうとうちの母の3人で2泊3日のソウル旅行。

ソウルは母の生まれ故郷でもあるので、

「親戚や友達に孫の顔を見せたい」という彼女の強い希望により実現。

めんどくせえと言い続けてきた私だけど、れんたろうが小学校に

あがればこうして旅行に行くのもなかなか難しいだろうということで、

今回思い切ってパスポートをとって飛行機に乗ってみた。

 

れんたろうの壮絶ないやいや期は幸いにもハイスピードで終わったので、

今回のタクシー→長距離バス→飛行機→リムジンバスという

ひたすら乗り物に乗り続ける旅中、終始ご機嫌でいてくれた。

 

それに人見知りがまったくなくなっていたのもよかった。

ホテル滞在中、入れかわるようにどんどん知らん人がやってきたんだけど、

その誰に対しても笑顔を振りまき、「ぎゅうー」と言って抱きついてもいた。

だかられんたろうはすごく可愛がられた。

ハングルが話せずいつも肩身の狭い思いをする私は、

今回れんたろうにとても助けられた。

 

母の友達の息子さんの息子(3歳)もホテルに遊びに来てくれた。

名前をミンソンというらしいけど、ビンソンかミンジョンかもしれない。

何度私が発音しても「違う…」という顔をされてしまったので。

とにかくそのミンソンが現れたとたん、れんたろうはとても嬉しくなった

らしく、たたたっと駆け寄って

「おはよー」

と言った。

保育園のお友達だと思っているのかもしれない。

ミンソンはもちろん「…」と怪訝な顔をしていた。

「れんたろう、アンニョンだよ」

と小声で教えると

「あんにょーん」

と言ってすごい近い距離で笑いかける。

ミンソンが心を開くことはなかった。

 

蜀咏悄 2

 

おもちゃがたらふく詰まったミンソンのリュックサックを

物欲しげに見つめるれんたろう。

すぐにでも手を伸ばしたいところを、こぶしをぎゅっと握って

我慢をしている様子。

 

ミンソンのおもちゃは車中心。

リュックサックにもバスが大きく描かれていて、

れんたろうは「ほおお」と大きな声で感嘆していた。

韓国も日本も、男の子は乗り物大好きなんだね。

 

 

蜀咏悄 1

 

 

 

 

 

 

二日目。朝食のおかゆをむさぼるれんたろう。

そのほか、キンパ(韓国ののりまき)、プルコギ(韓国のすき焼き)、

うどんなど、お腹がぱっつんぱっつんになるほど食べていた。

れんたろうがお昼寝していて食べ損ねたサムゲタンは本当においしかった。

 

 

蜀咏悄 3

 

 

 

 

 

 

母はれんたろうをソウルのみんなに見せることができて

とっても嬉しかったらしい。

「こがにかわいい子はおらんわいね~」

と、ハングルよりも広島弁の似合うおばちゃんになった母だけど、

れんたろうには「ばあば」より「ハルモニ(ハングルのおばあちゃん)」と

呼んでほしいと言う。

 

れんたろうは

「はもにー」

と言って、母にぎゅうぎゅう抱きしめられていた。

 

私は子供を産んでようやく自分のルーツに興味を覚えるようになった。

これまでいろいろ事情があって会ったことがなかった叔父は、

私とよく似ていた。

叔父に抱かれるれんたろうを見て母は泣いていた。

「ハングルを勉強しなさい」と叔父は私に向かって言った。

れんたろうを産んでから、ちょくちょく勉強していることは

何となく言えなかった。

 

少なくとも、彼らと同じ血が私にもれんたろうにも流れている。

差別や偏見を振り払うのは、無関心ではなく勉強だったのかもしれないと

母になって初めて思った。

もっと勉強をすればよかった。

勉強をしなかった私は、親族と談笑することすらできない。

 

もしれんたろうが昔の私のようになったら言いたいことは山ほどある。

周りになんて言われても、

自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の言葉で話すこと。

そのためには、経験もいる勉強もいる。

きっと結構大変だ。

だけど、そのときやっと自由になれるんだと思う。

 

行ってよかったな。

れんたろうもミンソンも、みんなかわいい。

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